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軍集団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NATOの軍集団を表す兵科記号

軍集団(ぐんしゅうだん、英語: army group)とは、近代陸軍の編制の一つであり、部隊の規模を示す。2個以上のを束ねたものであり、さらに軍集団は複数束ねられて総軍: general army)あるいは戦域軍(: army theater)となる。

呼び方は国や時代により差がある。アメリカ軍イギリス軍ドイツ国防軍などでは軍集団と呼ぶが、日本陸軍では方面軍赤軍ポーランド軍では戦線と呼ばれた。また、自衛隊用語が“軍”の字がある事象を忌避するため、陸上自衛隊には存在しない。

ドイツの軍集団

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第一次世界大戦において、オーストリア=ハンガリー帝国軍及びオスマン帝国軍ブルガリア王国軍との共同戦線を張るべくドイツ帝国軍では以下の軍集団が編成された。(なお各軍集団の命名は司令官にちなんだものであり、司令官の人事交代によって変化していく)

東部戦線

西部戦線

中東戦線

第二次世界大戦における軍集団の編成は「第二次世界大戦中のドイツ軍の編成」を参照

アメリカおよび連合軍の軍集団

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第一次世界大戦においては、フランス軍が以下の5個軍集団の編成を行っている

これにイギリス遠征軍(British Expeditionary Force)が指揮下に加えられた

第二次世界大戦中の1940年ナチス・ドイツのフランス侵攻に備えて北東作戦戦域フランス語版に3個軍集団 (6月に第4軍集団が追加され4個軍集団) が組織された。

1944年連合軍ヨーロッパ反攻をにらみ、イギリスで下記の4個軍集団の編成を行っている。

NATO

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NATO中央地域の各軍団管区

冷戦期の北大西洋条約機構軍では、中央地域 (ドイツ連邦共和国の大部分) の陸軍は、2個軍集団に分けられていた。各軍集団は中央欧州連合軍の指揮下で空軍部隊英語版と共にワルシャワ条約機構軍の侵攻に対する西ドイツの防衛に責任を負っていた。軍集団司令官の平時における権限は限られており、訓練、教義、兵站、交戦規則などについてはNATOではなくそれぞれの国家が責任を負っていた[1]

各軍集団はそれぞれ4個軍団から成っていたため、大戦期の基準では地理的な責任範囲においては軍集団規模であったが、部隊規模的には軍相当であった[2]

北部軍集団

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北部軍集団英語版(NORTHAG)はエルベ川以南の西ドイツ北部国境地帯を担当し、北から南にかけて、オランダ第1軍団英語版(I(NE)軍団)、西ドイツ第1軍団(I(GE)軍団)、イギリス第1軍団英語版(I(BR)軍団)、ベルギー第1軍団英語版(I(BE)軍団)で構成されていた。指揮官はイギリス陸軍ライン軍団の司令官が務めた。

中央軍集団

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中央軍集団英語版(CENTAG)は西ドイツ南部国境地帯を担当し、北から南にかけて、西ドイツ第3軍団(III(GE)軍団)、アメリカ第5軍団(V (US) 軍団)、アメリカ第7軍団(VII (US) 軍団)、ドイツ第2軍団(II (GE) 軍団)で構成されていた。指揮官はアメリカ第7軍司令官(1966年12月1日以降はアメリカ欧州陸軍司令官を兼任)が務めた。

廃止

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1991年11月、NATO首脳はローマで開催されたNATOサミットで、「新戦略コンセプト」を採択した。これはとりわけ軍と統合指揮双方の構造に根本的な変化をもたらした。1993年6月より軍集団は相次いで廃止され、1993年7月1日にハイデルベルクで発足した中央欧州連合陸軍(LANDCENT)に改編された。

脚注

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  1. ^ Globalsecurity.org, Cold War NATO Army Groups, accessed 20 June 2010
  2. ^ David C Isby & Charles Kamps Jr, Armies of NATO's Central Front, Jane's Publishing Company Limited, 1985