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趙嘉(ちょう か)
- 中国春秋時代の晋の政治家である趙無恤(趙襄子)の長男[1][2]で、諡は桓。襄子の死後、従子の趙浣(趙献子、後に追尊して趙の献侯。趙伯魯(趙襄子の異母長兄)の孫、代成君趙周の子)と家督を争い、これを追い出して趙氏の当主となった。紀元前424年に逝去した。その後は晋の国人が蜂起して、先年に追われた趙献子を擁立して、趙桓子の嫡男とその4人の叔父(つまり趙襄子の息子たち)を捕虜にして処刑した。 - 趙桓子
- 中国戦国時代の趙の第10代君主である幽繆王の異母兄。国都邯鄲の陥落後に代へ逃れ、自立して王を名乗った。 - 代王嘉
- ^ 『史記』趙世家の注釈にある『史記索隠』および『世本八種』より。
- ^ その一方『史記』趙世家では、趙桓子は趙襄子の弟とする。