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赤鹿理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤鹿 理
生誕 1888年7月4日
日本の旗 日本 兵庫県
死没 (1958-08-15) 1958年8月15日(70歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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赤鹿 理(あかしか ただし、1888年明治21年)7月4日[1] - 1958年昭和33年)8月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

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1888年(明治21年)に兵庫県で生まれた[1]陸軍士官学校第22期卒業[1]1937年(昭和12年)1月7日に陸軍士官学校学生隊長に就任し[2]3月1日陸軍歩兵大佐に進級した[2]8月2日陸軍予科士官学校学生隊長に転じ[2]11月24日には歩兵第48連隊長に就任した[2]

1939年(昭和14年)8月1日に陸軍少将進級と同時に第15歩兵団長(第13軍第15師団)に着任し日中戦争に出動[1][3]南京警備のため[1]蕪湖に駐屯し、治安維持に注力した[1]1941年(昭和16年)11月に独立混成第13旅団長(第13軍)に転じ[1]新四軍を相手とする戦闘で苦戦した[1]1942年(昭和17年)8月17日に陸軍中将に進級し[3]第13師団長(第11軍)に親補された[1]1945年(昭和20年)1月20日には第4国境守備隊を基に編成された第122師団長(関東軍第1方面軍)に親補された[1]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 福川 2001, 17頁.
  2. ^ a b c d 外山 1981, 279頁.
  3. ^ a b 外山 1981, 278頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026