コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

赤羽根町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤羽根村から転送)
あかばねちょう
赤羽根町
太平洋ロングビーチ
赤羽根町旗 赤羽根町章
赤羽根町旗 赤羽根町章
廃止日 2003年8月20日
廃止理由 編入合併
赤羽根町田原町
(田原町が即日市制施行)
現在の自治体 田原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
渥美郡
市町村コード 23622-5
面積 23.54 km2
総人口 6,306
(2003年1月31日)
隣接自治体 渥美町田原町
町の木 クロマツ
町の花 キク
赤羽根町役場
所在地 441-3502
愛知県渥美郡赤羽根町大字赤羽根字赤土1
座標 北緯34度37分08秒 東経137度12分43秒 / 北緯34.61889度 東経137.212度 / 34.61889; 137.212座標: 北緯34度37分08秒 東経137度12分43秒 / 北緯34.61889度 東経137.212度 / 34.61889; 137.212
赤羽根町
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
赤羽根町役場[1]

赤羽根町(あかばねちょう)は、かつて愛知県渥美郡に属していた。2003年(平成15年)8月20日に渥美郡田原町へ編入され、田原町は即日市制施行して田原市となった。この合併は愛知県内における平成の大合併の先駆けである。

地理

[編集]

太平洋遠州灘)に面しており、「遠州のからっ風」と呼ばれる強風が吹く。太平洋沿岸部の太平洋ロングビーチ(赤羽根ロングビーチ)にはサーフィンに適した波が寄せることで知られ、夏にはサーファーや海水浴客で賑わう。

隣接していた自治体

[編集]

歴史

[編集]
  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、渥美郡赤羽根村が単独で村制施行し、赤羽根村が発足[2]
  • 1906年(明治39年)7月16日 - 渥美郡赤羽根村、高松村若戸村の3村が合併して赤羽根村発足。
  • 1958年(昭和33年)11月1日 - 赤羽根村が町制施行して赤羽根町が発足。
  • 1998年(平成10年) - 公共下水道事業着手。計画区域87ヘクタール。
  • 1998年(平成10年)11月1日 - 町民憲章制定。
  • 1999年(平成11年)4月1日 - 田原町に消防事務を委託。田原町消防署赤羽根分署を開設。
  • 2003年(平成15年)4月1日 - 赤羽根浄化センター供用開始。
  • 2003年(平成15年)8月20日 - 赤羽根町が田原町に編入され、田原町は同日市制施行して田原市が発足。

行政

[編集]

町長

[編集]
  • 大羽義市( - 2003年)

議会

[編集]
  • 議員定数:12人

財政

[編集]
  • 予算:31億500万円(2002年度当初予算、1万円未満切り捨て)
  • 公債費比率:10.3%(2001年度決算)
  • 財政力指数:0.35(2002年度)

町民憲章

[編集]

わたくしたちは、明るく住みよい赤羽根町の発展をめざし、町民一人ひとりの合言葉として、この憲章を定めます。

  • 自然を愛し、緑豊かな町をつくります。
  • 互いに助け合い、あたたかな町をつくります。
  • 健康に心がけ、生きがいのある町をつくります。
  • 教養を深め、文化の高い町をつくります。
  • 郷土を誇り、活力ある町をつくります

経済

[編集]
電照菊のハウス

産業

[編集]

電照菊メロンが特産品として多く出荷される。また、遠州灘の沖合が良好な漁場であることから、漁業も盛んである。赤羽根漁港は1951年7月28日に第1種漁港に指定され、1952年11月11日に第4種漁港(避難港)に指定された。

  • 製造品出荷額等:21億6600万円(2000年)
  • 農業粗生産額:137億3400万円(2000年)

教育

[編集]

小学校

[編集]

中学校

[編集]

高等学校

[編集]

交通

[編集]

町内に鉄道路線は存在しなかった。

道路

[編集]

一般国道

[編集]

県道

[編集]

名所・旧跡・観光スポット

[編集]

出身有名人

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 現在の田原市役所赤羽根支所。
  2. ^ 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年、9頁。
  3. ^ 田原市発足後の2006年度末をもって閉校。
  4. ^ ヤクルト小川投手が喜びの帰郷”. 東日新聞 (2012年12月20日). 2020年11月26日閲覧。

関連項目

[編集]