赤星道重
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長7年(1602年)? |
死没 | 寛永15年1月24日(1638年3月9日) |
改名 | 道重→宗帆 |
別名 | 通称:典膳、内膳、主膳 |
氏族 | 赤星氏 |
父母 | 父:赤星親武 |
兄弟 | 道重、浄光院(加藤清正側室) |
赤星 道重(あかほし みちしげ)は、江戸時代前期の武士。島原の乱の一揆勢指導者・天草十七人衆の一人。
略歴
[編集]通称の赤星内膳、赤星主膳の名で多くの史料に見られる。島原の乱の実録物『天草騒動』によると、豊臣家家臣の父が大坂夏の陣で戦死する直前に脱出させたため生き残り、後に天草に逃れ、その後は宗帆と名乗ったという。
島原の乱では一揆勢における評定衆・徒士大将の一人として原城本丸付近を守備した。
原城における幕府軍との攻防で、寺沢堅高の家臣・三宅重元[1]と一騎討ちをした末、戦死したという[2]。
脚注
[編集]出典
[編集]- 田丸具房(常山)『天草騒動』(1692年)
- 鶴田倉造『Q&A 天草四郎と島原の乱』(熊本出版文化会館、2008年)
- 倉田文史『西海の乱・天草民衆運動史研究(下巻)』(西海文化史研究所、1995年)