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赤倉ゴルフコース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤倉ゴルフコース
Akakura Golf Course
赤倉ゴルフコース
赤倉ゴルフコースの空中写真。
1976年11月3日撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 地図
所在地 日本の旗 日本
新潟県妙高市田切216番地  
座標: 北緯36度53分1.51秒 東経138度10分26.59秒 / 北緯36.8837528度 東経138.1740528度 / 36.8837528; 138.1740528
概要
開業 1963年昭和38年)7月8日
運営 メンバーシップコース
設計 井上 誠一
運営者 赤倉観光ホテル株式会社
コース

OUT IN
HOLE PAR YARD HOLE PAR YARD
1 5 500 1 4 401
2 4 371 2 4 357
3 4 370 3 5 500
4 4 376 4 3 145
5 3 220 5 4 416
6 4 342 6 4 404
7 5 495 7 5 538
8 4 363 8 3 178
9 3 160 9 4 345
36 3197 36 3284

その他
公式サイト 赤倉ゴルフコース
テンプレートを表示

赤倉ゴルフコース(あかくらゴルフコース)は、 新潟県妙高市田切にあるゴルフ場である。

概要

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越後富士ともいわれる妙高山の中腹に、1936年昭和11年)1月、新たなホテルの建設に向けて経営母体「赤倉観光ホテル株式会社」が設立され、会長に大倉喜七郎が就任した[1]。同年12月12日、日本の高原リゾートの草分け的存在として「赤倉観光ホテル」が完成し開業された[1]

しかし、翌年の1937年(昭和12年)、日中戦争の影響を受けたが、同時期、日本政府による外貨獲得政策として国際リゾートホテルの建設計画が提案され、海外賓客にも対応した拘りのあるホテルの建設が望まれた[2]。その国際リゾートホテルの候補の一つとして「赤倉観光ホテル」が浮かび上がった[2]。赤倉観光ホテルの創業者は、当時帝国ホテル会長を務め、川奈ホテルゴルフコース(静岡県、1928年(昭和3年)開場、設計 大谷光明(大島コース)、C・H・アリソン(富士コース))、上高地帝国ホテルをつくった大倉喜七郎で、大倉は日本のホテルの基礎を築いた[2]。大倉のホテルへの拘りは強く、設計者である高橋貞太郎をスイスにまで出張させる程だった[2]

日本百名山の一つである妙高山を望む地に、1937年(昭和12年)、赤倉観光ホテルは本格的な高原リゾートホテルの草分け的な存在として誕生した[2]1945年(昭和20年)8月、終戦となり、同年10月、占領軍により接収され保養所となった[3]。また、戦時統制令により、赤倉観光ホテルは帝国ホテルと合併し「赤倉帝国ホテル」と改称された[3]。その後、1952年(昭和27年)7月、接収解除となった[3]

1963年(昭和38年)7月8日、「赤倉ゴルフコース」の設計を大成建設株式会社に依頼し、9ホールのゴルフ場が完成し開場された[3]1971年(昭和46年)、増設の9ホールの設計を井上誠一に依頼し、既存の9ホールの改造も同時に井上に依頼、高原リゾートコース18ホールのゴルフ場が完成した[3]

井上は霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県、1929年(昭和4年)開場、西コース)、大洗ゴルフ倶楽部(茨城県、1953年(昭和28年)開場)、鷹之台カンツリー倶楽部(千葉県、1954年(昭和29年)開場)、龍ヶ崎カントリー倶楽部(茨城県、1958年(昭和33年)開場)、よみうりゴルフ倶楽部(東京都、1961年(昭和36年)開場)など日本屈指のコースを設計した[1]。しかし、1965年(昭和40年)、創業当時の建物は解体され、1年後の1966年(昭和41年)、旧建物を模して新たに建替えられ、拘りの詰まったホテルも同時に受け継がれた[1]

コースは広いフェアウェイと白い砂のバンカーが特徴で、白樺ブナなどの樹木が点在する、難易度の高いホールが多く正確なショットが要求される[4]。また比較的小さなグリーンは、緻密な計算が必要とされる戦略的コースである[4]

所在地

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〒949-2102 新潟県妙高市田切216番地

コース情報

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  • 開場日 - 1963年7月8日
  • 設計者 - 井上 誠一
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,481ヤード、コースレート75.4
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 1グリーン、ベント(ペンクロス)
  • ハザード - バンカー59
  • ラウンドスタイル - キャディ・セルフ選択可、5人乗り電磁誘導式乗用カートでのセルフプレーが原則
  • 練習場 - 無し
  • 休場日 - 無休、冬季クローズ 11月下旬-4月中旬[5]

ギャラリー

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交通アクセス

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鉄道

道路

脚注

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  1. ^ a b c d 「赤倉ゴルフコース」、名匠・井上誠一と歴史、2021年7月閲覧
  2. ^ a b c d e 「赤倉観光ホテル」、ヒストリー、2021年7月閲覧
  3. ^ a b c d e [『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昭和12年大倉喜七郎男爵が赤倉観光ホテルを開業。昭和46年井上誠一設計の18ホール完成」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年7月閲覧]
  4. ^ a b 「赤倉ゴルフコース」、コース概要、2021年7月閲覧
  5. ^ 「赤倉ゴルフコース」、ゴルフダイジェスト、ゴルフ場詳細、2021年7月閲覧
  6. ^ a b 「赤倉ゴルフコース」、アクセス、2021年7月閲覧

関連文献

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  • 『ゴルフ場ガイド 西版』、2006-2007、「赤倉ゴルフコース」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2021年7月閲覧
  • 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昭和12年大倉喜七郎男爵が赤倉観光ホテルを開業。昭和46年井上誠一設計の18ホール完成」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年7月閲覧

関連項目

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外部リンク

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