コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

賤のおだまき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
賤のおだまき
「平田大蔵平田三五郎ヲ訪フノ圖」:天吹を奏でる三五郎と、垣間見る大蔵
「平田大蔵平田三五郎ヲ訪フノ圖」:天吹を奏でる三五郎と、垣間見る大蔵
作者 不詳(西薩婦女)
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 歴史小説ゲイ文学
初出情報
初出 1884年(翻刻)
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
テンプレートを表示

賎のおだまき』(しずのおだまき)とは、江戸時代末期に成立した日本の歴史小説若衆物語(あるいは衆道物語)。安土桃山時代に実在した薩摩国武将、平田三五郎宗次主人公。物語は、平田三五郎と彼の同僚となる吉田大蔵清家の邂逅から、2人が「庄内の乱」(1599年)で生死を共にするまでを描いている。作品は一貫して武士道男色を称揚するものとなっている。実在した人物や事件に取材しており、『庄内軍記』や『伊勢殿若衆文』等の資料や伝承に基づいて成立したと考えられる[1]。全1冊。

概説

[編集]

作者と制作年代

[編集]

作者、成立年代ともにはっきりしていないことが多い。著者は、

聞クナラク、「此ノ書、西薩[西薩摩]婦女ノ手ニ出ヅ」ト。
不詳、『繅絲艶語叙』[注釈 1]

とあり、鹿児島の女性であるともされるが、不明[注釈 2][2]。ただ、内容や表現に当時の鹿児島方言が用いられていることから、その地の者によって書かれたことには疑いがない[3]。年代は早くとも18世紀初頭、遅くとも安政4年頃とされる。前述の通り、物語の骨子は資料に基づいて書かれた一方、三五郎と大蔵の邂逅や、大蔵の朝鮮出陣と2人の再会、庄内の乱への出陣するまでのエピソードは作者による創作だと考えられている[4]

名称

[編集]

書名は写本・刊本によってさまざまで、『平田三五郎物語』『賤之麻玉記』『賤之緒玉記』『賤之雄玉記』『賤之男玉記』『賤のをだまき』『賤之小田巻』のような表記が見られる。なお、本稿は、明治以降の多くに刊行された表記に従う。

内容

[編集]
  • 倉田軍平、尾上権六を頼む事
  • 倉田・小浜、狼藉 並びに、平田三五郎危難の事
  • 吉田・平田の両雄、兄弟の義を結ぶ事
  • 三五郎、大蔵を疑うて義絶せんと欲する事 つけたり、両人起請文の事
  • 高麗御出陣仰せ出ださるる事 つけたり、宗次、清家に名残を惜しむ事
  • 平田三五郎、節義の事 並びに諏訪日参の事
  • 高麗御帰陣の事 並びに、清家・宗次再会 つけたり、薩摩日騒動の事
  • 庄内一揆籠城の事 並びに、清家・宗次出陣の事
  • 財部合戦の事 並びに、吉田・平田討死の事

序では物語の歴史的背景と平田三五郎の人となりを説明している。時は慶長元年(1596年)、島津家家老平田増宗の息子で美少年平田三五郎は暴漢達に襲われていたところを、通りかかった吉田大蔵に救われる。互いに惹かれ合った二人は、平田の家を吉田が訪れることでついに結ばれ、義兄弟の堅い契りを交わす。両者の仲を妬む者の陰謀や、大蔵の朝鮮参陣を経て、二人の契りはかえって堅くなっていく。慶長四年(1599年)、宗次(三五郎)は清家(大蔵)と共に庄内合戦に出陣するが、大蔵だけ先に討ち死にしてしまう。三五郎は、大蔵の跡を追って敵軍に切り込み、義を貫いて同じく討ち死にする。末尾(跋)では、2人の義理・廉直・剛毅について説き、愛欲ばかりに耽ることのないように諌めている。

後年への影響

[編集]

江戸時代から『賤のおだまき』は地元薩摩では親しまれていたが、明治17年、自由党系の小新聞『自由燈』に連載されてから全国的に知られるようになった[5][6]明治時代、本作の人気は薩摩にとどまらず、当時の学生へも広まり人気を博したことから[6]森鴎外(『ヰタ・セクスアリス』)や坪内逍遥(『当世書生気質』)、徳田秋声(『思い出るまゝ』)、巌谷小波(『五月鯉』)、内田魯庵(『社会百面相』)、また昭和には白洲正子(『両性具有の美』)などにも引かれている[7]

伝本

[編集]

現存する写本は極めて少なく、以下の四本[8]

外題「賤之麻玉記」 四十九丁(ただし十丁は白紙)、絵なし。書写年・書写者は不明。
外題「賤の緒玉記」 八十六丁、絵あり。書写年・書写者は不明。
外題「賤の麻玉記」 ペン書き・本文三十二丁、絵なし。書写年・書写者は不明。
表紙および巻末の数丁を欠く。
  • 薩摩文化月刊誌「さんぎし」に連載された翻刻[注釈 3]
外題「賤の男玉記」。薩摩川内市に個人で所蔵されていたものを翻刻した。翻刻の誤り・脱落多し。丁数・絵の有無は不明、書写年は、奥書に「安政四年[1858年]十二月廿四日 佐多直次郎」とある由。元にあった写本は現存せず。
表紙に「賤野麻玉木」と題がある。物語の初めの部分のみ。十一五丁〔ママ〕。脱落・誤写多し。

また、現在確認できる活版本は以下の通り[9]

  • A版(家蔵)黄表紙和装本(内題)「賤のおたまき」(題箋なし)
序(明治17年3月)、跋(明治17年4月)
挿絵あり
大正5年2月に文教社から復刻版
  • B版(家蔵)黄表紙和装本(内題)「賤のおたまき 完」
序、跋、挿絵なし
  • C版(国会図書館蔵、図書番号913.6/Si578)紙表紙洋装本(表紙)「賤のおたまき」
明治20年8月出版。東京精文堂。(翻刻人)高橋平三郎
序、跋なし
木版画風の挿絵あり

研究書

[編集]
  • 伊牟田經久『武士道と男色物語―『賤のおだまき』のすべて―』小径選書、2020年6月25日。ISBN 978-4-905350-12-5 
  • 笠間千浪『現代語訳 賤のおだまき 薩摩の若衆平田三五郎の物語』鈴木彰、平凡社、2017年8月10日。ISBN 978-4582768589 

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 明治17年出版。原漢文
  2. ^ この作品が女性の手によるものだったかどうかについての考察は『現代語訳 賤のおだまき 薩摩の若衆平田三五郎の物語』所収の「西薩女考」に詳しい。
  3. ^ 昭和三十三年(1958年)五月号から翌三十四年八月号まで十六回連載された。

出典

[編集]

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

上記の活版本C版 - 国立国会図書館デジタルコレクション