賀禰雄津麻呂
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賀禰 雄津麻呂(かね の おつまろ、生没年不詳)は、奈良時代後期の人物。名は小津麻呂とも記される。姓は公。官位は外従五位下・筑後介。
出自は不明で、雄津麻呂の名前のみ知られている。「賀禰」は『和名類聚抄』にある越後国魚沼郡賀禰郷によるという説もあるが、「賀弥」(かみ)の誤記ではないかとする説が有力である[1]。
光仁朝の宝亀2年(771年)5月、正六位上から外従五位下に昇叙[2]。9月、京官の大学員外助に任じられ[3]、同10年、日置若虫の後任の筑後介に任じられている[4]。
『続日本紀』による。
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