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貞懿皇后(ていいこうごう、1094年 - 1161年)は、金の世宗の母。漢姓諱は李洪願(り こうがん)。弟は広平郡王李石。
渤海貴族の李雛訛只の娘。天輔年間、完顔宗輔の側室となった。美しく賢明であった。
天会13年(1135年)に夫が亡くなると、再婚を拒否し、出家した。通慧円明大師と号し、紫衣を賜って東京(遼陽府)に帰った。東京では清安禅寺を建て、垂慶寺を営んで住んだ。正隆6年(1161年)5月、入寂した。同年に世宗が即位すると、「貞懿皇后」と贈号し、仏塔を建立して供養が行われた。