豊牛駅
豊牛駅 | |
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とようし Toyoushi | |
◄頓別仮乗降場 (4.3 km) (3.3 km) 豊浜仮乗降場► | |
所在地 | 北海道枝幸郡浜頓別町字豊寒別 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 興浜北線 |
キロ程 | 7.0 km(浜頓別起点) |
電報略号 | ヨウ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1936年(昭和11年)7月10日[1] |
廃止年月日 | 1985年(昭和60年)7月1日[1] |
備考 | 興浜北線廃線に伴い廃駅 |
豊牛駅(とようしえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字豊寒別にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)興浜北線の駅(廃駅)である。電報略号はヨウ。事務管理コードは▲122001[2]。
歴史
[編集]- 1936年(昭和11年)7月10日 - 鉄道省興浜北線浜頓別駅 - 北見枝幸駅間開通に伴い開業(一般駅)[3][4]。
- 1944年(昭和19年)11月1日 - 不要不急線指定に伴い興浜北線が前日の営業をもって鉄道運輸営業休止となったことにより[5]、営業休止[4]。
- 1945年(昭和20年)12月5日 - 興浜北線の旅客運輸営業開始(再開)に伴い、営業再開[6][4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 業務委託化。
- 1973年(昭和48年)9月17日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止し[7]、同時に無人駅化[8][9]。駅舎改築[10]。
- 1985年(昭和60年)7月1日 - 興浜北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]開業時の当地の地名は「浜頓別村字プタウス[3]」であったが、「豊牛」と命名された経緯について鉄道省・国鉄により以下の2説が示されている。
- 鉄道省札幌鉄道局が発行した『駅名の起源』1939年(昭和14年)版では「附近に放牧多き為斯く名づけた[11]」として、和名であるとしている[11]。
- 国鉄北海道総局が1973年(昭和48年)に『駅名の起源』の後継として発行した『北海道 駅名の起源』では、当地が「豊寒別」と「プイタウシ」の中間にあり、「牛が豊かになるようにとの地元の要望[4]」から「豊寒別」から「豊」、「プイタウシ」から「ウシ」すなわち「牛」をとり、命名したとしている[4]。
なお、『北海道 駅名の起源』において、「豊寒別」「プイタウシ」はそれぞれアイヌ語の「トイカムペッ(toy-kamu-pet)」(土・かぶさる・川)、「プイタウシ(pui-ta-usi)」(エゾノリュウキンカの根を・掘る・所)の意とされている[4][12]。しかし、このうち豊寒別についてアイヌ語研究者の山田秀三は「語義は分からない[13]」として、前述の説について「相当苦心をしてこの言葉を当てたものらしい[13]」としている。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した[10]。分岐器を持たない棒線駅となっていた。
無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、斜内駅と同型[14]のマスプロ設計の小型駅舎となっていた[15]。1983年(昭和58年)時点では、屋根の配色は青であった[10]。駅舎内にトイレを有していた[15]。駅舎は構内の北東側に位置し、ホームから少し離れていた。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1951年(昭和26年) | 73 | [16] | ||
1961年(昭和36年) | 89 | |||
1965年(昭和40年) | 111 | |||
1971年(昭和46年) | 60 | |||
1978年(昭和53年) | 22 | [17] | ||
1981年(昭和56年) | 5 | [16] | ||
1985年(昭和60年) | 1 | 同年7月に興浜北線廃止 |
駅周辺
[編集]小さな漁村がある。海岸までは約0.2km[10]。駅裏は原野になっている[10]。
駅跡
[編集]2010年(平成22年)時点では駅舎が残存しており、物置として利用されている[15]。以前は駅舎の内部にも入ることができたが、2012年(平成24年)時点では扉は開けることができず、ガラス越しにしか内部を確認することはできなくなっている。旧駅舎の周囲は、畑になっている[14]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、908頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236 。2023年2月11日閲覧。
- ^ a b 内閣印刷局, ed (1932-10-26). “鉄道省告示 第199号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (2850) .
- ^ a b c d e f 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、190頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 大蔵省印刷局, ed (1944-10-05). “運輸通信省告示 第483号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5319) .
- ^ 大蔵省印刷局, ed (1945-12-05). “運輸省告示 第175号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5670) .
- ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日)
- ^ 北海道鉄道百年史 下巻 日本国有鉄道北海道総局
- ^ 「通報 ●天北線上音威子府駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1973年9月14日、4面。
- ^ a b c d e 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、193頁。ISBN 978-4093951012。
- ^ a b 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、87頁。NDLJP:1029473。
- ^ “アイヌ語地名リスト ツキサ~トヨコ P81-90P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月31日閲覧。
- ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、226頁。ISBN 978-4894536128。
- ^ a b c 杉崎行恭『絶滅危惧駅舎』二見書房〈二見文庫〉、2010年6月、150頁。ISBN 978-4576100906。
- ^ a b 浜頓別町史編集委員会 編『浜頓別町史』北海道出版企画センター、1995年3月。ISBN 978-4832895010。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、895頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、17頁。