豊橋球場
豊橋球場 | |
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施設データ | |
所在地 |
愛知県豊橋市今橋町4番地 (豊橋公園内) |
座標 | 北緯34度46分10.41秒 東経137度23分49.47秒 / 北緯34.7695583度 東経137.3970750度座標: 北緯34度46分10.41秒 東経137度23分49.47秒 / 北緯34.7695583度 東経137.3970750度 |
開場 | 1948年(昭和23年)[1] |
所有者 | 豊橋市 |
照明 | 照明塔 : 4基 |
収容人員 | |
観覧席 内野:3,000人、外野:12,000人 | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
両翼:100メートル 中堅:116メートル |
豊橋球場(とよはしきゅうじょう)は、愛知県豊橋市の「豊橋公園」内にあった市営の野球場。
概要
[編集]球場は両翼100m、中堅116mと両翼については公式戦規格を適合するが、バックネット裏のほか、アマチュア野球やソフトボールなどの大会でも対応できるよう設計されており、3試合が同時に開催できた。レフト・ライトのポール際にも簡易型のバックネットが常時設置されている。
スコアボードはパネル式の得点表示板のみである。※2013年にLED化
4機の照明がある。
野球やソフトボールの試合のほか、グラウンドゴルフやペタンクの使用実績がある[2]。また、炎の祭典のメイン会場や豊橋まつりの特設ステージなど、豊橋市の各種イベント等にも利用されていた。
歴史
[編集]1948年(昭和23年)に開設され、豊橋市のメイン球場の役割を果たしていた[2]。
1980年(昭和55年)に岩田運動公園内に豊橋市民球場が整備され、プロ野球公式戦や選抜高校野球の予選など集客を伴う試合は市民球場で行われるようになった[2]。
以後は、アマチュア利用が中心となり、アクセスの良さから、少年野球、東三河の高校野球他、様々な大会が開催されていた。
2025年から2026年にかけて、市の西側沿岸エリアの豊橋総合スポーツ公園内に移設する計画が示された。
2024年(令和6年)3月31日 春季東三河高校野球 国府ー豊橋商業 をラストゲームに利用を停止
野球は硬式・軟式を問わず使用でき平日(夜間)も含めて稼働率が高い施設だったが、豊橋公園に多目的屋内施設(新アリーナ)を建設する予定地としていた公園北側に、朝倉川の家屋倒壊等氾濫想定区域(河岸侵食)が設定されていることが分かり、新たな建設予定地として現在豊橋球場として利用している土地を選定し、豊橋球場を解体し豊橋総合スポーツ公園内に移設するという計画が2023年6月に示された[2]。しかし、移転予定先も津波の想定浸水域として豊橋市が指定する「特定避難困難地域」にあたることがわかり防災上の問題が指摘されている[3]。
2024年(令和6年)11月10日投開票の豊橋市長選挙において、新人の長坂尚登氏が、現職で新アリーナ建設計画を推進していた浅井由崇氏を破り当選した。長坂新市長は同計画の中止を公約として当選しており、豊橋球場が存続する可能性が生じている(発注済みの球場設備の撤去工事は中断している)※東愛知新聞2024/11/13。
交通手段
[編集]脚注
[編集]- ^ 豊橋球場(1. 2. 3) 豊橋野球協会スタッフブログ 2009年7月13日付
- ^ a b c d “野球場の再編(案)について”. 豊橋市文化・スポーツ部「スポーツのまち」づくり課、都市計画部公園緑地課. 2023年6月18日閲覧。
- ^ “球場の移転先、津波避難困難 豊橋の新アリーナ計画巡り”. 中日新聞. 2023年6月25日閲覧。