豊橋ハリストス正教会
豊橋ハリストス正教会 | |
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豊橋ハリストス正教会 聖使徒福音記者マトフェイ聖堂 | |
情報 | |
用途 | 正教会 |
施工 | 中神組 |
竣工 | 1913年12月 |
開館開所 | 1913年12月 |
所在地 |
〒440-0806 愛知県豊橋市八町通3-15 |
座標 | 北緯34度46分5.0秒 東経137度23分38.7秒 / 北緯34.768056度 東経137.394083度座標: 北緯34度46分5.0秒 東経137度23分38.7秒 / 北緯34.768056度 東経137.394083度 |
文化財 | 重要文化財 |
指定・登録等日 | 2008年6月9日 |
豊橋ハリストス正教会 | |
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聖使徒福音記者聖マトフェイ聖堂 | |
国 | 日本 |
教派 | 正教会 |
歴史 | |
創設日 | 1879年 |
豊橋ハリストス正教会(とよはしハリストスせいきょうかい)は、日本ハリストス正教会に所属する正教会の教会である。
国の重要文化財に指定されている聖使徒福音記者マトフェイ聖堂(せいしとふくいんきしゃマトフェイせいどう・愛知県豊橋市八町通に所在)を有する。
歴史
[編集]豊橋ハリストス正教会は日本正教会の教会であり、西日本主教区に所属する。日本正教会の西日本主教区は愛知県までを管轄しており、豊橋ハリストス正教会は西日本主教区に所属する教会の中では最も東に位置している。現在の管轄司祭はイサイヤ酒井以明神父。イサイヤ酒井以明神父の父も正教会の司祭である。1972年から1999年までは、現在の日本正教会の首座主教であるダニイル主代郁夫府主教が(主教に叙聖される前に司祭として)、管轄司祭を務めていた。
1984年には聖堂が愛知県指定有形文化財に指定され、2008年には国の重要文化財に指定された。指定名称は「豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂」[1]。
年表
[編集]- 1875年(明治8年) - 豊橋への正教会の布教が始まる。
- 1879年(明治12年) - 中八町に木造2階建ての会堂が建てられる。
- 1913年(大正2年)12月 - 初代管轄司祭マトフェイ影田神父叙聖35周年を記念して聖堂が建立される[2]。
- 1915年(大正4年) - 成聖式が行われる。ロシアからイコノスタシスが届く予定だったが第一次世界大戦の影響で届かず、仮の聖障で行われた。
- 1926年(大正15年) - 正式にイコノスタシスが設置される。聖堂の鐘は第二次世界大戦中に供出させられ、1956年に新しい鐘が吊された。
- 1983年(昭和58年) - 豊橋市有形文化財に指定される[2]。
- 1984年(昭和59年) - 愛知県指定有形文化財に指定される[2]。
- 2008年(平成20年)6月9日 - 国の重要文化財に指定される。
- 2021年(令和3年)1月 - 2024年(令和6年)9月 建立以来初の全面的補修工事を実施[3][4][5]。
名称
[編集]「豊橋ハリストス正教会」は教会の名であり、聖堂の正式名は聖使徒福音記者マトフェイ聖堂である[2]。「ハリストス」とはキリストの、中世以降のギリシャ語・ロシア語読み。「マトフェイ」は中世ギリシャ語の読みがスラヴ語に転写されたものを片仮名転写したもので、キリストの十二使徒の一人マタイを表す。マタイが漢字に転写された馬太の表記を使用した「聖使徒福音者馬太(まとふぇい)聖堂」との漢字表記もある。名前の通り、福音記者マトフェイを記憶する聖堂である。
建築
[編集]初代管轄神父マトフェイ影田(かげだ)神父の叙聖35周年を記念して、亜使徒大主教聖ニコライ所蔵のハリストス正教会聖堂設計参考図譜をもとに設計され、施工は地元工務店の中神組が行い、1913年12月に完成した。木造下見板張り、現在は銅板瓦棒葺きとなっているが、当初は亀甲葺きであった。
愛知県知多郡南知多町出身の神品 (正教会の聖職)であり、また教会営繕を担当していたモイセイ河村伊蔵(輔祭、のち司祭となる)[6]が、大阪聖堂に続きこの豊橋聖堂を設計した。大阪聖堂は第二次世界大戦で焼失してしまったが、豊橋では信者数が少ないために全体を若干縮小しただけでほとんど同じデザインである。 至聖所と聖所は他の正教会の聖堂と同様にイコノスタシス(聖障)によって区切られており、イコン画家であった山下りんによる壁画『主の昇天』『ハリストス(キリスト)の降誕』がある。この他、日露戦争で捕虜となっていたロシア兵の画家が神使長を描いた『ガウエル』『ミハエル』がある[2]。
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北西から見た豊橋ハリストス正教会聖使徒福音記者マトフェイ聖堂
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山下りんによる『主の昇天』
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ “豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂”. 国指定文化財等データベース(文化庁). 2015年10月16日閲覧。
- ^ a b c d e 豊橋百科事典 p.592 豊橋市文化市民部文化課
- ^ “豊橋ハリストス正教会の保存修理が開始されます(広報マンがお届けする「とれたて!豊橋ニュース」2021年1月)”. 豊橋市. 2021年1月23日閲覧。
- ^ “災禍耐えた豊橋ハリストス正教会聖堂、初の全面保存修理”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2021年1月22日). 2021年1月23日閲覧。
- ^ “初の本格保存修理完了 国指定重文「豊橋ハリストス正教会」 来年5月11日の「成聖式」以降 聖堂一般公開へ”. 東日新聞 (2024年10月6日). 2024年10月9日閲覧。
- ^ 八木谷涼子編『別冊太陽 日本の教会をたずねて 日本のこころ-119』には、「1915年ころ」に河村は輔祭に叙聖されたとあるが、その後1937年に司祭に叙聖されている。完成時に輔祭になっていたかどうか定かではないが、本記事では「神品」と記述し、輔祭・司祭でもあった旨を記述した。
関連書籍
[編集]- 内井昭蔵『ロシアビザンチン(建築巡礼) 黄金の環を訪ねて』1991年 丸善 ISBN 9784621035481
関連項目
[編集]- 正教会
- 日本ハリストス正教会
- 桜丘中学校・高等学校 - 戦災により校舎が全焼したため、豊橋正教会の聖堂で授業を続行した事がある。
- 愛知県指定文化財一覧
参考文献
[編集]- 泉田英雄・西澤泰彦・伊藤晴康「豊橋ハリストス正教会聖堂建築の研究」、日本建築学会計画系論文集2009年。
- 「日本におけるハリストス正教会聖堂建築に関する研究」Google Sites.
外部リンク
[編集]- 豊橋ハリストス正教会・聖使徒福音記者マトフェイ聖堂 - 日本ハリストス正教会
- 豊橋ハリストス正教会聖堂が重文に 司祭建築家の河村伊蔵作 (PDF) 西日本主教区