豊明市立中央小学校
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豊明市立中央小学校 | |
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北緯35度2分58.9秒 東経137度0分50.8秒 / 北緯35.049694度 東経137.014111度座標: 北緯35度2分58.9秒 東経137度0分50.8秒 / 北緯35.049694度 東経137.014111度 | |
過去の名称 |
雙峰学校 尋常小学雙峰学校 雙峰尋常小学校 雙峰尋常高等小学校 豊明尋常高等小学校 豊明尋常小学校 中央国民学校 豊明村立中央小学校 豊明町立中央小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 豊明市 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210008005 |
所在地 | 〒470-1112 |
愛知県豊明市新田町西筋38 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
豊明市立中央小学校(とよあけしりつ ちゅうおうしょうがっこう)は、愛知県豊明市新田町にある公立小学校。
校区
[編集]- 校区は新田町、三崎町の一部(丸ノ内)、大久伝町、阿野町の一部(稲葉、出口、上納、東阿野、苅外山、上石田、惣作、西ノ海戸、奥屋、寺内、林ノ内、新切、三本木、明定、上畑田、大島、小島、正戸、違井、平地、西平地)である。
公立中学校に進学する場合は豊明市立沓掛中学校に進学する[1]。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)
- 1875年(明治8年)1月 - 義勇学校が長盛院[注釈 4]に移転。沓掛学校に改称する。
- 1878年(明治11年) - 前後村と間米村が合併し、大沢村が発足。
- 1880年(明治13年)5月 - 意正学校が大澤学校に改称する。
- 1887年(明治20年)4月 - 雙峰学校が沓掛学校と大澤学校を統合し、尋常小学雙峰学校に改称する。旧・沓掛学校が沓掛分校、旧・大澤学校が前後分校となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。
- 1892年(明治25年)7月 - 雙峰尋常小学校に改称する。沓掛分校は分立し、沓掛尋常小学校となる。前後分校は分立し、前後尋常小学校となる。
- 1901年(明治34年)6月15日 - 高等科を設置。雙峰尋常高等小学校に改称する。
- 1905年(明治38年)3月 - 大沢尋常小学校、東阿野尋常小学校、前後尋常小学校を統合し、豊明尋常小学校が発足。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 沓掛村と豊明村が合併し、豊明村となる
- 1907年(明治40年)1月1日 - 雙峰尋常高等小学校と豊明尋常小学校を統合し、豊明尋常高等小学校となる。統合校舎は無く、旧・雙峰尋常高等小学校が第一仮校舎、旧・豊明尋常小学校が第二仮校舎、旧・前後尋常小学校が第三仮校舎、旧・大沢尋常小学校が第四仮校舎とする。
- 1909年(明治42年) - 村民から豊明尋常高等小学校を3校に分離することが陳情される。諸般の事情により、2校に分割することとなる。
- 1910年(明治43年) - 豊明尋常高等小学校から豊明尋常小学校が分離する。豊明尋常高等小学校は第一仮校舎を本校とし、第二・三・四仮校舎は豊明尋常小学校の仮校舎とする。
- 1911年(明治44年)2月24日 - 現在地に校舎が完成し、移転する。豊明中央農業補習学校を併設する。このころから通称が中校となる。
- 1917年(大正6年)3月 - 高等科を廃止し、豊明尋常小学校に改称する[注釈 5]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 中央国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 豊明村立中央小学校に改称する。
- 1957年(昭和32年)1月1日 - 豊明村が町制施行し、豊明町となる。同時に豊明町立中央小学校に改称する。
- 1959年(昭和34年) - 校舎を増築する。
- 1961年(昭和36年) - プールが完成する。
- 1967年(昭和42年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成する。
- 1972年(昭和47年)8月1日 - 豊明町が市制施行し、豊明市となる。同時に豊明市立中央小学校に改称する。校舎(北棟)が完成する。
- 1974年(昭和49年) - 体育館が完成する。
- 1978年(昭和53年)4月 - 豊明市立三崎小学校を分離する。
- 1980年(昭和55年) - 校舎を増築する。
- 2006年(平成18年) - 管理棟が完成する。
- 2015年(平成27年) - 東棟が完成する。
交通アクセス
[編集]周辺施設
[編集]参考文献
[編集]- 豊明市史編さん委員会『豊明市史 本文編』豊明市、1993年、pp. 401-447