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谷井勘蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

谷井 勘蔵(勘藏、やつい かんぞう、1853年3月1日(嘉永6年1月22日[1][2])- 1930年昭和5年)1月25日[3][4])は、明治・大正期の大地主[2]実業家政治家貴族院多額納税者議員。幼名・徳次郎[1][3]、通称・保佑[3][注 1]

経歴

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紀伊国海部郡関戸村[1]和歌山県海草郡雑賀村大字関戸を経て現和歌山市)で、谷井平吉の二男として生まれる[1][2]。1868年4月22日(慶応4年3月30日)に宗家・谷井勘右衛門の養子となる[1][2]。1869年4月3日(明治2年2月22日)養父の隠退に伴い海部郡地士を相続した[1]

1879年(明治12年)4月、和歌山県会議員に当選[1]するも辞退[3]。同年12月、関戸村会議員に当選した[3][4]。1897年(明治30年)9月、海草郡会議員に当選し[1][4]、その後5期在任した[3]。その他、海草郡所得税調査委員、県商工業部勧業諮問会委員などを務めた[1][3]

実業界では、1886年(明治19年)10月、第四十三国立銀行取締役に就任[1][4]。以後、四十三銀行取締役、紀陽貯蓄銀行頭取、和歌山綿ネル監査役、紀州銀行監査役、南海絹糸紡績取締役、和歌山県農工銀行設立委員、同行取締役、同行頭取などを務めた[1][2][3][4]

1904年(明治37年)貴族院議員に互選され[1][3]、同年9月29日[5]から1911年(明治44年)9月28日まで在任した[3][4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『和歌山県海草郡誌』1059頁では保祐。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『和歌山県海草郡誌』1059-1060頁。
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 第3版』や27-28頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『和歌山県史 人物』490頁。
  4. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』225頁。
  5. ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1915年。
  • 和歌山県海草郡役所編『和歌山県海草郡誌』名著出版、1974年。
  • 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。