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諸橋襄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

諸橋 襄(もろはし のぼる、1899年(明治32年)12月10日 - 1999年(平成11年)1月18日)は、日本内務官僚貴族院議員法学博士帝京大学法学部長。従四位勲二等

経歴

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新潟市出身。新潟中学(後の新潟県立新潟高等学校)から、東京府立三中(後の東京都立両国高等学校・附属中学校)に転校し卒業。そして旧制第八高等学校を経て、1923年(大正12年)に、東京帝国大学農学部農学科を卒業すると、東京帝国大学法学部政治学科に入学した。 同4月30日、新潟県属となり、1924年(大正13年)4月、同大学を卒業した。以後、奈良県、北海道、広島県、富山県、千葉県、福島県の勤務を経て、1937年(昭和12年)7月31日、 行政裁判所評定官となる。その後、枢密院書記官長衆議院法制部長、会計検査院検査官等を歴任し、その間の1946年(昭和21年)8月14日から1947年(昭和22年)5月2日まで、貴族院議員も務めた。1959年(昭和34年)12月24日には、論文「枢密院制度論」で法学博士(日本大学)を授与され、1982年(昭和57年)に、帝京大学法学部長に就任した。1999年(平成11年)1月18日に死去。

略歴

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  • 新潟中学(後の新潟県立新潟高等学校)転校
  • 東京府立三中(後の東京都立両国高等学校・附属中学校)卒業
  • 旧制第八高等学校卒業
  • 1920年(大正9年)9月 - 東京帝国大学農学部農学科入学
  • 1921年(大正10年)11月 - 高等試験行政科試験合格
  • 1923年(大正12年)
    • 4月 - 東京帝国大学農学部農学科卒業。東京帝国大学法学部政治学科入学。
    • 4月30日 - 新潟県属、内務部農林課勤務。
    • 9月14日 - 内務部農務課勤務、内務部林務課兼務。
  • 1924年(大正13年)
    • 2月28日 - 内務部学務課勤務、内務部農務課兼務。
    • 4月 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業。
    • 7月3日 - 奈良県警視、警察部勤務。
    • 12月20日 - 地方警視、奈良県警察部保安課長。
  • 1926年(大正15年)
    • 2月17日 - 北海道庁事務官、土木部道路課長。
    • 3月26日 - 土木部市計画課長兼務。
  • 1927年(昭和2年)4月4日 - 産業部農務課長。
  • 1930年(昭和5年)
    • 4月28日 - 長官官房文書課長兼統計課長。
    • 6月27日 - 地方事務官、広島県勤務。
    • 7月31日 - 知事官房主事。
    • 9月12日 - 内務部農務課長。
  • 1932年(昭和7年)
    • 1月20日 - 内務部地方課長。
    • 4月4日 - 富山県勤務。
    • 4月12日 - 学務部社寺兵事課長。
    • 8月27日 - 学務部教育課長。
  • 1933年(昭和8年)
    • 5月2日 - 千葉県勤務。
    • 5月13日 - 内務部地方課長。
  • 1934年(昭和9年)
    • 11月3日 - 高等試験司法科試験合格。
    • 11月10日 - 知事官房主事、知事官房秘書課長兼務。
  • 1935年(昭和10年)1月19日 - 福島県書記官、学務部長。
  • 1937年(昭和12年)7月31日 - 行政裁判所評定官。
  • 1939年(昭和14年)9月15日 - 枢密院書記官兼行政裁判所評定官。
  • 1941年(昭和16年)12月17日 - 兼高等捕獲審検所事務官。
  • 1946年(昭和21年)
    • 1月22日 - 枢密院書記官長。
    • 8月14日 - 貴族院議員[1](昭和22年5月2日まで)。
  • 1947年(昭和22年)
    • 5月2日 - 廃庁により退官。
    • 6月 - 衆議院法制部長。
    • 8月 - 会計検査院検査官。
  • 1951年(昭和26年)1月31日 - 土地調整委員会委員。
  • 1959年(昭和34年)12月24日 - 「枢密院制度論」により法学博士(日本大学)。
  • 1982年(昭和57年) - 帝京大学法学部長。
  • 1999年(平成11年)1月18日 - 死去。

栄典

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

脚注

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  1. ^ 『官報』第5881号、昭和21年8月21日。
  2. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

外部リンク

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公職
先代
石黒武重
日本の旗 枢密院書記官長
1945年 - 1947年
次代
(廃止)