諏訪神社 (北杜市須玉町若神子)
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諏訪神社 | |
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所在地 | 山梨県北杜市須玉町若神子3282 |
位置 | 北緯35度47分33.3秒 東経138度25分10.5秒 / 北緯35.792583度 東経138.419583度座標: 北緯35度47分33.3秒 東経138度25分10.5秒 / 北緯35.792583度 東経138.419583度 |
主祭神 |
建御名方命 稲荷大神 |
社格等 | 旧郷社 |
諏訪神社(すわじんじゃ)は、山梨県北杜市須玉町若神子3282にある神社。社格は旧村社。
祭神
[編集]由緒
[編集]社記によれば、延喜式所載の「笠屋神社」とあるが、これは当地より南方、塩川下流方向にある北巨摩郡駒井村(現韮崎市藤井町駒井)に鎮座する当麻戸神社(當麻戸神社)を、下の社と称していたことに対するもので、かつて当地方の方言では「上」を「加佐」と呼んでいたことから、下の社に対して上方にある当社を「加佐」すなわち「笠屋」と称したことに由来するという[3]。
甲斐国志では若神子村諏訪明神として記述があり、御朱印社領3石4斗、社地7800坪、武田氏始祖新羅三郎義光の祈願所として、社中に新羅三郎義光の霊を祀るとあり、社殿の背後、山腹の急斜面に巨石があり、これに因み大石神社とも呼ばれる。新羅三郎義光奉納と伝わる馬具を神宝とす、と記載されている[3]。
古くより当地で起きた大火により文書などが類焼で失われ、創立年代に確たるものは無いが、所蔵の棟札には次のようにある[4]。
- 諏訪大明神御神御殿建立
- 貞享5年戌辰9月28日
- 神主中田右近正三射出雲守行之
1873年(明治6年)に郷社に列し、1907年(明治40年)に御崎神社を合祀し今日に至っている[5]。
御柱祭
[編集]かぞえの7年に1度、長野県の諏訪大社の御柱祭と同じく寅と申の年の5月4日に御柱祭が実施される[6]。10mの木を2本、御神木として山から切り出して、町内を半日練り歩き、境内に立てる祭り[7]。昔は社殿を建て替えていたものを、大木の柱だけを7年に1度立てて奉納することで代えたといわれている[8]。
実施内容
[編集]- 山出し
- 里曳き
- 里曳きは御柱祭の中心となる行事である。
- 若神子宿北端の出発地点での神事の後、神主・稚児行列・和太鼓・柱曳・長持・踊り手の順で若神子宿を南下し、折り返して若神子宿の中間から参道を経て諏訪神社に向かう。
- 長持ちの担ぎ手は顔に思い思いの美粧を施して里曳きにのぞむ。
脚注
[編集]- ^ 須玉町史編さん委員会 編『須玉町史 社寺・石造物編』須玉町、2001年6月、23頁。
- ^ 岩下万次 編『若神子村誌』須玉町、1955年3月、216頁。
- ^ a b 小沢猪太郎 編『峡北神社誌』峡北神社総代会、1962年2月20日、147頁。
- ^ 小沢猪太郎 編『峡北神社誌』峡北神社総代会、1962年2月20日、147-148頁。
- ^ 小沢猪太郎 編『峡北神社誌』峡北神社総代会、1962年2月20日、148頁。
- ^ 山梨県祭り 1999, p. 118.
- ^ 「掛け声に合わせご神木引き歩く」『山梨日日新聞』2010年5月5日、2版、17面。
- ^ 須玉中学校 1985, p. 40.
- ^ 「若神子・諏訪神社の御柱祭り」『須玉町史 民俗編』須玉町史編さん委員会、2002年、p.458
参考文献
[編集]- 『峡北神社誌』峡北神社総代会、1962年2月20日。
- 『山梨県の祭り・行事 : 山梨県祭り・行事調査報告書』山梨県教育委員会、1999年3月。全国書誌番号:20075878。
- 須玉町立須玉中学校 編『「心豊かな生徒」の育成をめざして』須玉町立須玉中学校、1985年11月。
外部リンク
[編集]- 諏訪神社(旧郷社) - 山梨県神社庁