誠心院
誠心院 | |
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所在地 | 京都府京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487 |
位置 | 北緯35度0分24.2秒 東経135度46分3.1秒 / 北緯35.006722度 東経135.767528度座標: 北緯35度0分24.2秒 東経135度46分3.1秒 / 北緯35.006722度 東経135.767528度 |
山号 | 華嶽山 |
宗派 | 真言宗泉涌寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
開山 | 専意法尼(和泉式部) |
開基 | 藤原道長 |
正式名 | 華嶽山 東北寺 誠心院 |
別称 | 和泉式部寺 |
公式サイト | [1] |
法人番号 | 6130005002213 |
誠心院(せいしんいん)は、京都市中京区にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は華嶽山。本尊は阿弥陀如来。和泉式部ゆかりの寺院で、通称「和泉式部寺」と呼ばれている。
歴史
[編集]「誓願寺縁起」によると、万寿2年(1025年)に和泉式部は娘である小式部内侍を失った。そして、和泉式部は娘の菩提を弔いつつ自らの往生も考えるようになり、播磨国書写山圓教寺の性空上人を訪ねることとした。そこで女人往生のすべを乞い、京都に戻って性空上人の教えをもとに誓願寺に入ると、本尊の阿弥陀如来に帰依して出家し、専意法尼という戒名を授かった、という。
次に当寺の寺伝によると、万寿4年(1027年)に専意法尼(和泉式部)が長年仕えてきた上東門院(藤原彰子)が、父の藤原道長に専意法尼のために一宇を建立すように勧めると、道長は法成寺の塔頭で建立中の東北院の一角(現・京都御所の東、荒神口辺り)にお堂・小御堂を建立して「東北院誠心院(じょうしんいん)」と名付け、専意法尼を初代住職とさせた、これが誠心院の起こりであるという。
鎌倉時代には現在の小川通一条上ル誓願寺の南に移転し、この頃に泉涌寺の末寺となったようである。
その後、天正年間(1573年 - 1592年)に豊臣秀吉の命を受けた山口甚介秀康により、現在地である寺町六角下ルに移転している。
元治元年(1864年)7月に禁門の変が起きると、京都の町はどんどん焼けで大火災となり、当寺も大きな被害を受けている。
1872年(明治5年)から始まった京都府知事・槇村正直による新京極通の整備で寺地を公収され、通りを隔てて境内地は二分された。
1910年(明治43年)、近隣で火災が発生して蔵を残してすべてが焼失するが、1919年(大正8年)に本堂が再建されている。
もともと当寺の読みは「誠心院(じょうしんいん)」であったが、太平洋戦争後からは「せいしんいん」と呼ばれるようになった。
毎年3月21日には和泉式部忌の法要が営まれる。
境内
[編集]- 本堂 - 小御堂(こみどう)ともいう。1919年(大正8年)再建。本尊・阿弥陀如来坐像、和泉式部像、藤原道長像などを祀っている。
- 庫裏
- 和泉式部の墓 - 宝篋印塔。
- 山口甚介秀康の墓 - 誠心院の移築を担当した人物。宇治田原城の城主。
- 山口一族の墓
- 池西言水の墓 - 江戸時代中期の俳人。
- 阿弥陀如来・二十五菩薩石像 - 山口甚介により建立された。
- 百八観音 - 永代供養墓でもある。
- 神変大菩薩(役行者)像
- 山門 - 1997年(平成9年)末に再建。
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和泉式部の墓
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和泉式部歌碑
参考文献
[編集]- 誠心院由緒