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要石勝右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

要石 勝右衛門(かなめいし かつえもん[1]、かなめいし かちえもん[2]、生年不明 - 寛政3年(1791年1月11日)は、江戸時代小結安芸国(現在の広島県広島市安佐南区)出身。本名、築島。

安永7年(1778年)11月、要石勝右衛門で東二段目に付き出され、翌々場所の8年10月にいきなり西小結に抜擢された。しかし8戦全敗に終わり翌9年3月二段目に落ち、さらに天明元年10月には三段目の陥落。天明4年3月に二段目に復帰した、天明6年11月に築島と改めたが、天明7年5月限りで以後、江戸には出場しなかった。大坂では天明8年8月まで番付に見られる[1]。『相撲地名評判記』に「大関、要石勝右衛門」の記述が見られ、『相撲今昔物語』の「当時相撲姓名江戸之部」「近世よりの相撲姓名」の中に「廣嶋後築嶋と名乗、また掛嶋とも名乗る」とあるが、いずれも詳細は不明[2]

脚注

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  1. ^ a b 『大相撲人物大事典』「相撲」編集部ベースボール・マガジン社、2001年、120頁
  2. ^ a b 『江戸時代相撲名鑑 上』日外アソシエーツ、2001年、441頁