西野桂
西野桂 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県 |
生年月日 | 1946年4月8日(78歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
中山・野平省三(1970年 - 1974年) 中山・野平富久(1974年 - 1975年) 中山→美浦・野平祐二(1975年 - 1979年) 美浦・矢野進(1979年 - 1983年) 美浦・野平富久(1983年) |
初免許年 | 1970年3月1日 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 1983年3月19日 |
重賞勝利 | 4勝 |
通算勝利 | 1161戦107勝 |
西野 桂(にしの かつら、1946年4月8日 - )は、千葉県出身の元騎手。
経歴
[編集]1970年代
[編集]1970年3月に中山・野平省三厩舎からデビューし、同1日の東京第3競走4歳新馬・スイートゴールド(16頭中6着)で初騎乗[1]を果たす。同日の第8競走5歳以上250万下ではタキリュウで3着[1]に入ったが、勝利騎手の鎌田祐一は同日デビューで初騎乗初勝利[2] [3]であった。
21日の中山第12競走5歳以上200万下・タキリュウで初勝利[4]を挙げ、7月11日の札幌第6競走4歳以上100万下では8頭中7番人気のユウゾラで2着に入って枠連万馬券[5]を演出し、1年目の1970年は4勝[6]をマーク。
2年目の1971年には7月24日の函館第7競走5歳以上オープンではシネマゴーストでアカネテンリュウを抑えて勝利し[7]、初の2桁勝利となる15勝[6]をマーク。
3年目の1972年には3月12日の中山では自身初の1日2勝[8]、10月14日・15日の新潟で初の2日連続勝利[9]を記録したほか、7月15日の札幌第7競走4歳以上オープンでは5頭中4番人気のパールフォンテンでパッシングゴールを抑えて勝利[10]。同年は馬インフルエンザ流行の影響で4月に福島芝2000mと変更され、厩務員ストライキでさらに2週延期された[11]金杯(東)でゴールデンシンボリを2着[12]に導き、2年連続15勝[6]をマーク。
1973年にはカーネルシンボリの主戦騎手を務め[13]、ダート1000mの新馬戦を好位追走から抜け出し、2着馬を9馬身も突き放し、人気に応える[14]。2戦目のオープンでは1200mと距離延長で不良馬場での戦いを先行争いに競り勝って2馬身差快勝、朝から激しい雨が降り続く不良馬場での戦いとなった北海道3歳ステークスでは直線早めに抜け出したバンブトンオールを好位追走からゴール寸前で鼻差捕らえて勝利し[14]、人馬共に重賞初勝利[13] [9]を飾る。帰厩後はオープン、京成杯3歳ステークスと共に中山芝1200m戦で時計のかかる重馬場での戦いをハナ、アタマ差の辛勝ながら、1番人気に応えて5連勝で2つ目の重賞[15]を手にしている[14]。朝日杯3歳ステークスでは土つかずの6連勝が期待されて1番人気に支持されたが、初経験の良馬場での芝1600m戦で中団追走も速い流れの競馬に一息伸びを欠き、着差は僅か0秒3ながらミホランザンの6着と初めての黒星を喫し、1974年は野平祐二に交代[14]。
トキノオウシンでは10月13日の東京第4競走3歳オープンでサクライワイの2馬身差2着[16]、12月16日の中山第6競走ひいらぎ賞ではニシキエースを抑えてコーネルランサー・スルガスンプジョウに次ぐ3着[17]に入った。
後にホッカイルソーのブルードメアサイアー[18]となるホッカイダイヤでは10月21日の東京第11競走競馬法50周年記念でツキサムホマレを抑えて勝利し[19]、同年は3年連続2桁勝利で自己最多の18勝[6]をマーク。
1974年には野平富久厩舎に移籍し、トキノオウシンではダービーデーの5月26日[20]には東京第6競走駒草賞でアイフルにハナ差2着[21]に入った。11月3日の東京第1競走3歳未勝利では14頭中13番人気のエリカシンジュを勝利に導いて単勝19380円[22]の波乱となり、同馬では12月1日の中山第7競走すずかけ賞でも14頭中12番人気で2着[23]に入った。
1975年には新規開業の野平祐二厩舎に移籍し、4月13日の中山第5競走アザレア賞では11頭中10番人気のカバリダナーで勝利[24]。4歳牝馬特別(東)では桜花賞馬テスコガビーの出走でトライアルレースながら11万人もの入場者があった中、直線で体調不十分のテスコガビーを交わして突き離すが、ゴール前でテスコガビーと同厩のトウホーパールにクビ差競り負かされて[25]2着[26]に終わる。優駿牝馬では前3連覇で同年は落馬で騎乗できなかった嶋田功が日刊競馬のインタビューで「自分なら一番乗りやすそうなカバリダナーに乗りたい」と語り[27]、同紙の予想者は全員◎を付けたが[27]、テスコガビーになすすべなく14着[27] [24]に終わった。
ホッカイダイヤでは同26日の東京第10競走晩春特別でアイフルに勝利し[28]、カーネルシンボリではダービー卿チャレンジトロフィーで60kgながらヤマブキオーの3着[13]に持ってきた。
後にホッカイセレスの伯父[29]となるホッカイノーブルの主戦騎手にもなり、同年は中山芝1600mの未勝利戦、明けて1976年はダートの条件戦を連勝[30]。
1978年と1979年には後にダイナアクトレスの母となるモデルスポート[31]の主戦騎手[32]として活躍し、牝馬東京タイムズ杯では同馬と同じく前走スプリンターズステークス組のメイワキミコ・マイエルフ[33]を抑えて重賞初勝利[31]に導き、自身は5年ぶりの重賞勝利[34]を飾る。続くダービー卿チャレンジトロフィーではシービークロスをアタマ差抑えて[35]重賞を連勝し[31]、同馬は一線級の牡馬と互角に渡り合った活躍が評価されて優駿賞最優秀4歳牝馬に選出された[36]。
1979年にはモデルスポートを管理する矢野進厩舎に移籍し、2月25日の中山第12競走5歳以上オープンではテスコガビーの半弟で東京大賞典を勝って中央入り初戦のトドロキヒリュウ[37] [38]、グレートセイカンを抑えて勝利[39]。
1980年代
[編集]1980年には7年ぶりで自身最後の2桁勝利となる10勝[6]をマークし、1982年7月24日の新潟第3競走3歳新馬ではギャロップダイナに騎乗[40]。メイワキミコと皐月賞馬ハワイアンイメージの妹プロメイドが断然の人気を集めた新馬戦で[32]、逃げたプロメイドをゴール前であっさりと抜き去って[32]デビュー勝ちするが、後に天皇賞(秋)でシンボリルドルフを破るギャロップダイナの初勝利を挙げたのが、シンボリルドルフの野平厩舎から矢野厩舎に移籍した西野という形になった[32]。
1982年8月8日の新潟第7競走4歳以上400万下・トロワフルールが最後の勝利[41]となり、1983年3月19日の中山第11競走麗春賞・ダイワヤング(14頭中9着)を最後に現役を引退[42]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 107 | 101 | 110 | 843 | 1161 | .092 | .179 |
- 主な騎乗馬
- カーネルシンボリ(1973年北海道3歳ステークス・京王杯3歳ステークス)
- モデルスポート(1978年牝馬東京タイムズ杯・ダービー卿チャレンジトロフィー)
脚注
[編集]- ^ a b “西野桂の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “鎌田祐一の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “競馬学校ブログ : 【競馬学校】教官のひとりごと~初騎乗フォト満載で!”. blog.jra.jp. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “西野桂の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “4歳以上100万下|1970年7月11日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ a b c d e “西野桂の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “4歳以上|1971年7月24日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|西野桂の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ a b “抽出[通算 1着レース]|西野桂の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “4歳以上|1972年7月15日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ 『優駿』1972年6月号、70,86頁。
- ^ “ゴールデンシンボリ”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ a b c “カーネルシンボリ (Colonel Symboli)”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ a b c d “競馬かわらVAN(リレーコラム)第89回 心に残る名馬たち No.15 カーネルシンボリ”. 2010年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月14日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|西野桂の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “3歳|1973年10月13日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “ひいらぎ賞|1973年12月16日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “ホッカイルソー (Hokkai Rousseau)”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “競馬法50周年記念|1973年10月21日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “1974年05月26日のレース情報”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “駒草賞|1974年5月26日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “3歳未勝利|1974年11月3日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “エリカシンジユ (Erica Shinju)”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ a b “カバリダナー (Kabari Danae)”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “語り継がれる桜花賞 そして、牝馬二冠へ”. www.yushunweb.jp. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “サンケイスポーツ賞4|1975年4月27日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ a b c “日刊競馬で振り返るGI - 1975年優駿牝馬(テスコガビー)”. www.nikkankeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “ホッカイダイヤ (Hokkai Dia)”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “ホッカイセレス”. uma-furusato.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “ホッカイノーブル”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ a b c “モデルスポート (Model Sport)”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ a b c d 江面弘也「名馬を読む3」三賢社、2021年5月22日、ISBN 4908655197、p130
- ^ “スプリンターズステー|1978年10月8日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|西野桂の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “ダービー卿チャレンジ|1978年11月19日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ 石田敏徳「21年越しの雪辱。」『Sports Graphic Number』964号、文藝春秋、2018年、57頁。
- ^ 寺山修司『山河ありき』新書館、1990年4月1日、ISBN 4403410081、p86。
- ^ “寺山修司「モンタヴァル一家の血の呪いについて」”. kuriyama.miesque.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “5歳以上|1979年2月25日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “3歳新馬|1982年7月24日”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|西野桂の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。
- ^ “西野桂の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月14日閲覧。