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西興除村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
にしこうじょそん
西興除村
廃止日 1905年4月1日
廃止理由 新設合併
東興除村西興除村興除村
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
児島郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,758
[1]、1891年)
隣接自治体 東興除村、彦崎村藤戸村都窪郡茶屋町
西興除村役場
所在地 岡山県児島郡西興除村大字曽根
座標 北緯34度33分32秒 東経133度50分20秒 / 北緯34.558789度 東経133.838908度 / 34.558789; 133.838908
地図
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西興除村(にしこうじょそん[2][1])は、岡山県児島郡にあった。現在の岡山市南区の一部にあたる。

地理

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児島湖の西方、倉敷川の下流域に位置していた[1]

歴史

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  • 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、児島郡西疇村、曽根村が合併して村制施行し、西興除村が発足[2][1]。旧村名を継承した西疇、曽根の2大字を編成[1]
  • 1903年(明治36年)西興除村漁業組合設立[1]
  • 1905年(明治38年)4月1日、児島郡東興除村と合併し興除村を新設して廃止された[2][1]。合併後、興除村大字西疇・曽根となる[1]

地名の由来

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興除は、岡山藩儒・小原大之介梅坡が『管子』から引用した「興利除害」に由来[3]

産業

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  • 漁業[1]
    • 1891年時点[4]では、西疇で11戸11人、曽根で39戸39人が漁業者であった[5]
  • 1889年(明治22年)児島養貝合資会社が大字曽根字丙川に設立され、灰貝養殖を計画したが、2年後、児島郡玉井村八浜に移転した[1]

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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  • 農商務省農務局 編『水産事項特別調査』農商務省、東京、1894年3月29日。doi:10.11501/993626NCID BN10233463OCLC 672751116 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 33巻《岡山県》、角川書店、東京、1989年7月8日。doi:10.11501/12288356ISBN 978-4-04-001330-5NCID BN00094881OCLC 673246624 
  • 地名情報資料室 編『市町村名変遷辞典』東京堂出版、東京、1990年9月1日。doi:10.11501/12760487ISBN 978-4-490-10280-2NCID BN05330777OCLC 673338495 

関連項目

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