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西濵幹紘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西濵 幹紘
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県度会郡南伊勢町
生年月日 (1993-08-04) 1993年8月4日(31歳)
身長
体重
174 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2015年 育成選手ドラフト4位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 星城大学

西濵 幹紘(にしはま みきひろ、1993年8月4日 - )は、三重県度会郡南伊勢町出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。

苗字の「濵」は環境依存文字であるため、一部Webサイトにおいては常用漢字である「浜」に置き換えて表記される。

経歴

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プロ入り前

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小学校3年の時に野球を始め、中学校2年の時には三重県大会を優勝し東海大会に出場[1]

三重県立南伊勢高等学校では3年夏の三重県大会初戦(2回戦)の宇治山田戦で9回4安打完封勝利[2]。続く3回戦の川越戦は8回を4安打2失点に抑えるも、1-2でチームは敗れた[3]。甲子園大会への出場経験はない。

大学は愛知大学野球リーグ2部に所属する星城大学に進学。3年春の名古屋大学戦で3安打7四死球初完封勝利を挙げるなど、エースとしてチームを支えた。

2015年10月22日に行われたプロ野球ドラフト会議において、中日ドラゴンズから育成ドラフト4巡目で指名され、11月8日に支度金200万円、年俸300万円(推定)で仮契約を結んだ[4]。星城大学からは初のプロ野球選手となった。

プロ入り後

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2016年は右肘の故障で二軍登板なしに終わった。

2017年も故障で二軍登板なしに終わった。

2018年も登板機会はなく、10月1日に球団から来季の契約を結ばないことを通告された[5]。10月31日、自由契約公示[6]。結局、二軍でも一度も登板しないまま現役を引退することとなった。

引退後

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中日退団後は、教員免許を持っていることから高校野球か大学野球の指導者を目指すことを決意[7]。母校の星城大学に戻り2019年からの4年間、職員として硬式野球部のコーチを務めていた[8]。退職後は家業である養殖業を継いでいる[9]

選手としての特徴・人物

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直球の最速は148km/h[4]

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 208 (2016年 - 2018年)

脚注

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  1. ^ プロ野球育成選手指名 星城大・西濱選手”. ちたまるNavi (2015年11月11日). 2021年9月19日閲覧。
  2. ^ 南伊勢 4-0 宇治山田 全国高校野球選手権三重大会(2回戦)”. バーチャル高校野球 | スポーツブル. 2021年9月19日閲覧。
  3. ^ 川越 2-1 南伊勢 全国高校野球選手権三重大会(3回戦)”. バーチャル高校野球 | スポーツブル. 2021年9月19日閲覧。
  4. ^ a b 中日育成ドラ4西浜が仮契約「直球と質を磨きたい」”. 日刊スポーツ (2015年11月8日). 2021年9月19日閲覧。
  5. ^ 中日ドラゴンズ 公式サイト - ドラゴンズニュース 来季の契約について”. 中日ドラゴンズ. 2018年10月1日閲覧。
  6. ^ 自由契約選手(育成選手)|2018年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2018年10月31日). 2018年11月4日閲覧。
  7. ^ “西浜幹紘、高校・大学の指導者めざす”. 中日スポーツ. (2018年10月2日) 
  8. ^ 本人Facebook
  9. ^ 本人Twitter

関連項目

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外部リンク

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