西海市立大島西小学校
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西海市立大島西小学校 | |
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北緯33度03分07秒 東経129度36分38秒 / 北緯33.051972度 東経129.610472度座標: 北緯33度03分07秒 東経129度36分38秒 / 北緯33.051972度 東経129.610472度 | |
過去の名称 |
公立下等黒瀬小学校 簡易黒瀬小学校 尋常黒瀬小学校 黒瀬尋常小学校 黒瀬尋常高等小学校 黒瀬村黒瀬国民学校 黒瀬村立黒瀬小学校 黒瀬町立黒瀬小学校 大島町立黒瀬小学校 大島町立大島西小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 西海市 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)9月10日 |
創立記念日 | 9月10日 |
閉校年月日 | 2022年(令和4年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210001410 |
所在地 | 〒857-2426 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
西海市立大島西小学校(さいかいしりつ おおしまにししょうがっこう, Saikai City Oshimanishi Elementary School)は、長崎県西海市大島町にあった公立小学校。略称は「大島西」(おおしまにし)、「西小」(にししょう)。
2022年(令和4年)3月末に閉校し、西海市立崎戸小学校・西海市立大島東小学校の2校と統合の上、「西海市立大崎小学校」が新設された。なお、大崎小学校は大島東小学校の校地に設置された[1]。
概要
[編集]- 学校教育目標
- 「心豊かにたくましく生きる児童の育成」
- 校章
この節の加筆が望まれています。 |
- 「西小」の文字(縦書き)を「大」の文字を図案化したもので囲んだデザインとなっている。
- 校歌
- 歌詞は3番まであり、各番に校名の「西小」が登場する。
- 校区
- 西海市大島町のうち「大島地区、塩田地区、塔の尾地区、太田尾地区、中戸地区」。中学校区は西海市立大崎中学校。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)9月10日 - 大島(佐々木四郎五郎宅)と黒瀬(宮原弾右衛門宅)の2ヶ所に塾式の学校が設置され、地元学童の教育が開始される。
- 後に、蛤(はまぐり)、中戸にも塾式の学校が開設される。
- 1878年(明治11年)5月 - 大島・黒瀬・蛤・中戸の4校が統合され、「公立下等黒瀬小学校」となる。
- 宮崎幹、服部正三、浦田勝造の3名を教師とし、授業を開始。児童数は約50名。
- 1882年(明治15年)5月 - 民家を買い取り、改造して校舎とする。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易大島小学校」に改称。
- 太田尾・本郷・中戸・蛤の4ヶ所に分教場を設置。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、黒瀬村立の小学校となる。これにより「簡易黒瀬小学校」に改称。
- 1890年(明治23年)10月 - 小学校令が改正される。簡易科を廃止し、尋常科(4年制)を設置した上で、「尋常黒瀬小学校」に改称。
- 1892年(明治25年)5月 - 「黒瀬尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
- 1890年(明治33年)11月 - 本郷分教場が分離し、本郷尋常小学校として独立。
- 1894年(明治37年)- 蛤分教場を間瀬海岸に移転し、間瀬分教場とする。太田尾分教場を川口与太郎宅跡に移転。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の一部改正により、義務教育年限が尋常科4年から尋常科6年に延長されたため、尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1913年(大正2年)4月 - 間瀬分教場を徳万谷の滝近くに移転し、徳万分教場とする。
- 1914年(大正3年)5月 - 本校の校舎を新築。
- 1915年(大正4年)
- 2月 - 中戸分教場を太田尾分教場に統合し、尋常科4年生までを収容する。
- 4月 - 高等科を併置し、「黒瀬尋常高等小学校」に改称(尋常科6年・高等科2年)。
- 1921年(大正10年)11月11日 - 黒瀬農業補習学校を併設。また本郷尋常小学校にも本郷実業補習学校が設置される。
- 1924年(大正13年)7月 - 本郷尋常小学校を統合し、再び本郷分教場とする。
- この時、横尾峠に校舎を移築しようとしたが、棟上げ直後に暴風で倒壊したため、移築計画は断念され、本校・分教場ともに、元の位置に復帰する。
- 本郷実業補習学校が黒瀬実業補習学校に統合される。
- 1926年(大正15年)4月 - 高等科2教室を増築。
- 1928年(昭和3年)8月 - 太田尾分教場を消失したため、校舎を新築。
- 1934年(昭和9年)5月 - 校舎を新築。校旗・校歌を制定。
- 1935年(昭和10年)6月1日 - 青年学校令の施行により、併設の農業補習学校が「黒瀬青年学校」に改称。
- 1936年(昭和11年)4月1日 - 徳万町住に徳万分教場を移転。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 徳万分教場が分離し、徳万尋常小学校として独立。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「黒瀬村黒瀬国民学校」(初等科6年・高等科2年)に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧・国民学校の初等科が改組され、「黒瀬村立黒瀬小学校」(6年制)が発足。本郷分教場を本郷分校、太田尾分教場を太田尾分校とする。
- 旧・国民学校の高等科と青年学校が改組され、「黒瀬村立黒瀬中学校」(新制中学校,3年制)が発足し、当面の間小学校・青年学校に併設される。
- 1948年(昭和23年)
- 3月31日 - 黒瀬青年学校が廃止される。
- 5月 - 本郷分校の校舎を改築し、運動場を拡張。
- 1949年(昭和24年)
- 4月1日 - 黒瀬村が町制施行を行ったため、「黒瀬町立黒瀬小学校」「黒瀬町立黒瀬中学校」に改称。
- 7月1日 - 村名の改称により、「大島町立黒瀬小学校」「大島町立黒瀬中学校」に改称。
- この年 - 中学校の新校舎が完成し、移転を完了。
- 1951年(昭和26年)
- 4月 - 太田尾分校の校舎を改築、運動場を拡張。
- 9月1日 - 「大島町立大島西小学校」(中学校は「大島町立大島西中学校」)[2]に改称。
- 1955年(昭和30年)4月 - 本郷分校と太田尾分校の収容学年を3年生までとし、4年生を本校に収容。
- 1959年(昭和34年)
- 1月 - 本校でミルク給食を開始。
- 3月 - 太田尾分校でミルク給食を開始。
- 1963年(昭和38年)
- 3月31日 - 本郷分校を廃止。校区が改定され、本郷分校の児童は大島町立大島第三小学校に収容される。
- 最終所在地(本郷分校)- 長崎県西彼杵郡大島町333番地
- 5月 - 本校に鉄筋コンクリート造の4教室が完成。
- 3月31日 - 本郷分校を廃止。校区が改定され、本郷分校の児童は大島町立大島第三小学校に収容される。
- 1964年(昭和39年)
- 3月 - 本校に鉄筋コンクリート造3階建ての校舎が完成。
- 9月 - 大田尾分校の新校舎が完成。
- 1965年(昭和40年)3月 - 本校に鉄筋コンクリート造3階建て校舎と給食室が完成。本校と分校、大島西中学校共同で完全給食を開始。
- 1966年(明治41年)8月 - 運動場を埋め立てる。
- 1967年(明治42年)3月 - 体育館が完成。
- 1969年(明治44年)
- 1971年(昭和46年)3月31日 - 大田尾分校を廃止。最終所在地 - 長崎県西彼杵郡大島町5360番地(北緯33度01分26.3秒 東経129度34分49.3秒 / 北緯33.023972度 東経129.580361度)
- 1974年(昭和49年)
- 9月 - 100周年記念運動会を開催。本校・大島郷・黒瀬郷・太田尾分校跡に記念碑を建立。
- 10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1977年(昭和52年)
- 1980年(昭和55年)8月 - 河川の氾濫により、運動場が冠水(水深60cm)。
- 1981年(昭和56年)
- 2月 - 運動場が復旧。
- 10月 - プールが完成。
- 1985年(昭和60年)1月 - 給食を自校調理方式からセンター方式に変更。
- 1995年(平成7年)3月 - 体育館が完成。
- 1998年(平成10年)12月 - パソコン室が完成。
- 2005年(平成17年)
- 4月1日 - 西海市の発足により、「西海市立大島西小学校」(現校名)と改称。
- 11月 - 西小三世代ふれあい祭りを開始。
- 2008年(平成20年)6月 - 父親の会が発足。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 中学校統合[4]により、中学校区が西海市立大崎中学校に変更となる。
- 2022年(令和4年)3月31日 - 閉校[1]。西海市立崎戸小学校・西海市立大島東小学校の2校と統合の上、「西海市立大崎小学校」が設置された[1]。
- 西海市立大崎小学校は大島東小学校の校地に設置された[1]。
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 「大島町郷土誌」(1995年(平成7年)4月発行, 大島町教育委員会)
- 「西彼杵郡現勢一班」(1926年(昭和元年)12月31日発行, 出版:郡役所廃止記念会)- 国立国会図書館近代デジタルライブラリー p.344(コマ番号183)