西海市立大島東小学校
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西海市立大島東小学校 | |
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北緯33度02分03秒 東経129度37分23秒 / 北緯33.034056度 東経129.623028度座標: 北緯33度02分03秒 東経129度37分23秒 / 北緯33.034056度 東経129.623028度 | |
過去の名称 |
黒瀬尋常高等小学校徳万分教場 徳万尋常小学校 黒瀬村徳万国民学校 黒瀬村立徳万小学校 黒瀬町立徳万小学校 大島町立徳万小学校 大島町立大島東小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 西海市 |
併合学校 | 大島町立大島第三小学校 |
設立年月日 |
【前身の創立】 1939年(昭和11年)4月1日 【統合】 1994年(平成6年)4月1日 |
閉校年月日 | 2022年(令和4年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210001429 |
所在地 | 〒857-2413 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
西海市立大島東小学校(さいかいしりつ おおしまひがししょうがっこう, Saikai City Oshimahigashi Elementary School)は、長崎県西海市大島町にあった公立小学校。略称は「大島東」(おおしまひがし)、「東小」(ひがししょう)。
2022年(令和4年)3月末に閉校し、西海市立崎戸小学校・西海市立大島西小学校の2校と統合の上、「西海市立大崎小学校」が新設された。なお、大島東小学校の校地および校舎が大崎小学校に継承された[1]。
概要
[編集]- 歴史
- 1939年(昭和14年)に黒瀬尋常高等小学校から分離独立した「徳万尋常小学校」(徳万の読みは「とくまん」)を前身とする。1994年(平成6年)に旧・大島東小学校と旧・大島第三小学校が統合され、現在の「大島東小学校」が発足した。現在創立年は統合の1994年(平成6年)を基準に数えられており、2014年(平成26年)に創立20周年を迎えた。2022年(令和4年)3月末をもって閉校し、27年の歴史に幕を下ろした。
- 学校教育目標
- 「学びの中で夢を抱き、夢の実現に向け、たくましく生きる児童の育成」
- 校章
この節の加筆が望まれています。 |
- 中央に「東」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は古川誠司、補作は山田喜孝、作曲は中原達郎による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「大島東小学校」が登場する。
- 校区
- 西海市大島町のうち「黒瀬地区、馬込地区、真砂地区、間瀬本町地区、間瀬東町地区、寺島地区、百合丘地区、徳万地区、蛤地区、中央地区」。中学校区は西海市立大崎中学校。
沿革
[編集]- 旧・大島東小学校(初代)
- 1886年(明治19年)9月 - 「簡易黒瀬小学校 蛤分教場」が設置される。
- 1890年(明治23年)4月 - 「尋常黒瀬小学校 蛤分教場」に改称。
- 1892年(明治25年)5月 - 「黒瀬尋常小学校 蛤分教場」に改称。
- 1904年(明治37年)- 蛤分教場が間瀬海岸近くに移転し、「黒瀬尋常小学校 間瀬分教場」に改称。
- 1913年(大正2年)- 間瀬分教場が徳万(徳万谷の滝近く)に移転し、「黒瀬尋常小学校 徳万分教場」に改称。
- 1915年(大正4年)- 「黒瀬尋常高等小学校 徳万分教場」に改称。
- 1936年(昭和11年)4月1日 - 徳万分教場が徳万町住に移転。
- 1937年(昭和12年)12月 - 5教室を増築。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 黒瀬尋常高等小学校から分離し、「徳万尋常小学校」として独立(創立年)。児童数528名(9学級)
- 1940年(昭和15年)7月5日 - 旧校舎を移築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「黒瀬村徳万国民学校」(初等科6年のみ)に改称。
- 1944年(昭和19年)[2]4月1日 - 高等科(2年制)を併置。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1949年(昭和24年)
- 2月13日 - 新校舎1棟が完成。
- 4月1日 - 黒瀬村が町制施行を行ったため、「黒瀬町立徳万小学校」「黒瀬町立徳万中学校」に改称。
- 7月1日 - 村名の改称により、「大島町立徳万小学校」「大島町立徳万中学校」に改称。
- 1950年(昭和25年)3月31日 - 2教室を増築。それでも教室は不足し、3学年の一部で二部授業を実施。
- 1951年(昭和26年)9月1日 - 「大島町立大島東小学校」(中学校は「大島町立大島東中学校」)[3]に改称。
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 4教室を増築。
- 1955年(昭和30年)
- 1月 - 南分校を設置。
- 3月 - 完全給食を開始。
- 4月 - 児童数が最大の1,942名を記録する(大島炭鉱最盛期)。
- 12月20日 - 南分校に8教室が完成。
- 1956年(昭和31年)
- 1月9日 - 増築した南分校へ本校から1年4学級と2年3学級が移転。
- 4月1日 - 南分校が分離し、「大島町立大島第三小学校」として独立。
- 1958年(昭和33年)10月4日 - 校旗を校歌を制定。
- 1960年(昭和35年)3月18日 - 完全給食を開始。
- 1962年(昭和37年)10月31日 - 土俵が完成。
- 1968年(昭和43年)
- 1970年(昭和45年)
- 1981年(昭和56年)2月26日 - 給食室を焼失。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 中学校統合[5]により、中学校区が大島町立大島中学校に変更となる。
- 1985年(昭和60年)1月 - 給食を自校調理方式からセンター方式に変更。
- 1989年(平成元年)2月18日 - 創立50周年記念式典を挙行。
- 1994年(平成6年)3月31日 - 閉校。旧・大島東小学校校舎は閉鎖される。
- 最終所在地 - 西彼杵郡大島町2170番地(北緯33度2分10.2秒 東経129度36分40.9秒 / 北緯33.036167度 東経129.611361度)
- 跡地の活用 - 住宅地が立ち並んでいる。
- 旧・大島第三小学校
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 1959年(昭和34年)
- 4月 - 児童数が最大の1,380名を記録する。
- 8月30日 - 8教室を増築。
- 1963年(昭和38年)4月6日 - 大島町立大島西小学校本郷分校の廃止に伴い、児童が転入。
- 1967年(昭和42年)4月 - 体育館が完成。
- 1970年(昭和45年)9月1日 - 大島炭鉱が閉山し、児童数が激減する。4月時点で644名、翌4月には220名に減少。
- 1979年(昭和54年)12月14日 - 校舎を改築。
- 1981年(昭和56年)3月31日 - 旧校舎の解体を完了。
- 1985年(昭和60年)1月 - 給食を自校調理方式からセンター方式に変更。
- 1994年(平成6年)3月31日 - 閉校。旧・大島第三小学校の校舎が新・大島東小学校の校舎として使用される。
- 旧・大島東小学校(二代目)
- 1994年(平成6年)
- 3月31日 - 旧・大島町立大島東小学校と旧・大島町立大島第三小学校が統合され、「大島町立大島東小学校」が開校。
- 4月1日 - 統合後12学級、児童数359名でのスタート。旧・大島東小学校の校舎を廃止し、旧・大島第三小学校の校舎を使用。
- 4月6日 - 開校式を挙行。新校歌と新校章を制定。
- 2000年(平成12年)3月24日 - パソコンを設置。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 西海市の発足により、「西海市立大島東小学校」(現校名)と改称。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 中学校統合[6]により、中学校区が西海市立大崎中学校に変更となる。
- 2022年(令和4年)
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 最寄りの道路
周辺
[編集]- 西海市立大島こども園(2021年4月に大島幼稚園と間瀬保育所を統合する形で開園)
- 大島町武道館
- 大島文化ホール
- 大島プール
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 「大島町郷土誌」(1995年(平成7年)4月30日発行, 大島町教育委員会)
- 「西彼杵郡現勢一班」(1926年(昭和元年)12月31日発行, 出版:郡役所廃止記念会)- 国立国会図書館近代デジタルライブラリー p.344(コマ番号183)