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西海市立大島東小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西海市立大島東小学校
地図北緯33度02分03秒 東経129度37分23秒 / 北緯33.034056度 東経129.623028度 / 33.034056; 129.623028座標: 北緯33度02分03秒 東経129度37分23秒 / 北緯33.034056度 東経129.623028度 / 33.034056; 129.623028
過去の名称 黒瀬尋常高等小学校徳万分教場
徳万尋常小学校
黒瀬村徳万国民学校
黒瀬村立徳万小学校
黒瀬町立徳万小学校
大島町立徳万小学校
大島町立大島東小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 西海市
併合学校 大島町立大島第三小学校
設立年月日 【前身の創立】
1939年昭和11年)4月1日
【統合】
1994年平成6年)4月1日
閉校年月日 2022年令和4年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210001429 ウィキデータを編集
所在地 857-2413
長崎県西海市大島町1922番2号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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西海市立大島東小学校(さいかいしりつ おおしまひがししょうがっこう, Saikai City Oshimahigashi Elementary School)は、長崎県西海市大島町にあった公立小学校。略称は「大島東」(おおしまひがし)、「東小」(ひがししょう)。

2022年令和4年)3月末に閉校し、西海市立崎戸小学校西海市立大島西小学校の2校と統合の上、「西海市立大崎小学校」が新設された。なお、大島東小学校の校地および校舎が大崎小学校に継承された[1]

概要

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歴史
1939年昭和14年)に黒瀬尋常高等小学校から分離独立した「徳万尋常小学校」(徳万の読みは「とくまん」)を前身とする。1994年平成6年)に旧・大島東小学校と旧・大島第三小学校が統合され、現在の「大島東小学校」が発足した。現在創立年は統合の1994年(平成6年)を基準に数えられており、2014年(平成26年)に創立20周年を迎えた。2022年(令和4年)3月末をもって閉校し、27年の歴史に幕を下ろした。
学校教育目標
「学びの中で夢を抱き、夢の実現に向け、たくましく生きる児童の育成」
校章
中央に「東」の文字を置いている。
校歌
作詞は古川誠司、補作は山田喜孝、作曲は中原達郎による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「大島東小学校」が登場する。
校区
西海市大島町のうち「黒瀬地区、馬込地区、真砂地区、間瀬本町地区、間瀬東町地区、寺島地区、百合丘地区、徳万地区、蛤地区、中央地区」。中学校区は西海市立大崎中学校

沿革

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旧・大島東小学校(初代)
  • 1886年(明治19年)9月 - 「簡易黒瀬小学校 蛤分教場」が設置される。
  • 1890年(明治23年)4月 - 「尋常黒瀬小学校 蛤分教場」に改称。
  • 1892年(明治25年)5月 - 「黒瀬尋常小学校 蛤分教場」に改称。
  • 1904年(明治37年)- 蛤分教場が間瀬海岸近くに移転し、「黒瀬尋常小学校 間瀬分教場」に改称。
  • 1913年(大正2年)- 間瀬分教場が徳万(徳万谷の滝近く)に移転し、「黒瀬尋常小学校 徳万分教場」に改称。
  • 1915年(大正4年)- 「黒瀬尋常高等小学校 徳万分教場」に改称。
  • 1936年(昭和11年)4月1日 - 徳万分教場が徳万町住に移転。
  • 1937年(昭和12年)12月 - 5教室を増築。
  • 1939年(昭和14年)4月1日 - 黒瀬尋常高等小学校から分離し、「徳万尋常小学校」として独立(創立年)。児童数528名(9学級)
  • 1940年(昭和15年)7月5日 - 旧校舎を移築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「黒瀬村徳万国民学校」(初等科6年のみ)に改称。
  • 1944年(昭和19年)[2]4月1日 - 高等科(2年制)を併置。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧・国民学校の初等科が改組され、「黒瀬村立徳万小学校」(6年制)が発足。
    • 旧・国民学校の高等科と青年学校が改組され、「黒瀬村立徳万中学校」(新制中学校,3年制)が発足し、当面の間小学校と大島鉱業所修道館青年学校に併設される。
  • 1949年(昭和24年)
    • 2月13日 - 新校舎1棟が完成。
    • 4月1日 - 黒瀬村が町制施行を行ったため、「黒瀬町立徳万小学校」「黒瀬町立徳万中学校」に改称。
    • 7月1日 - 村名の改称により、「大島町立徳万小学校」「大島町立徳万中学校」に改称。
  • 1950年(昭和25年)3月31日 - 2教室を増築。それでも教室は不足し、3学年の一部で二部授業を実施。
  • 1951年(昭和26年)9月1日 - 「大島町立大島東小学校」(中学校は「大島町立大島東中学校」)[3]に改称。
  • 1954年(昭和29年)9月1日 - 4教室を増築。
  • 1955年(昭和30年)
    • 1月 - 南分校を設置。
    • 3月 - 完全給食を開始。
    • 4月 - 児童数が最大の1,942名を記録する(大島炭鉱最盛期)。
    • 12月20日 - 南分校に8教室が完成。
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月9日 - 増築した南分校へ本校から1年4学級と2年3学級が移転。
    • 4月1日 - 南分校が分離し、「大島町立大島第三小学校」として独立。
  • 1958年(昭和33年)10月4日 - 校旗を校歌を制定。
  • 1960年(昭和35年)3月18日 - 完全給食を開始。
  • 1962年(昭和37年)10月31日 - 土俵が完成。
  • 1968年(昭和43年)
    • 3月15日 - 鉄筋コンクリート造の校舎が完成。
    • 9月14日 - 運動場を拡張。
  • 1970年(昭和45年)
    • 3月7日 - 体育館が完成。
    • 5月15日 - 旧校舎を解体。
    • 9月1日 - 大島炭鉱が閉山し、児童数が激減する。4月時点で714名、9月には289名、翌4月には172名に減少[4]
  • 1981年(昭和56年)2月26日 - 給食室を焼失。
  • 1977年(昭和52年)4月1日 - 中学校統合[5]により、中学校区が大島町立大島中学校に変更となる。
  • 1985年(昭和60年)1月 - 給食を自校調理方式からセンター方式に変更。
  • 1989年(平成元年)2月18日 - 創立50周年記念式典を挙行。
  • 1994年(平成6年)3月31日 - 閉校。旧・大島東小学校校舎は閉鎖される。
旧・大島第三小学校
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月1日 - 大島町立大島東小学校から南分校が分離し、「大島町立大島第三小学校」として独立。
      • 児童数 660名(12学級)。校舎不足のため、4学級(2年1学級と3年3学級)を大島町教育会館と大島東小学校に分散して収容。2年2学級で二部授業を実施。
    • 5月12日 - 開校式を挙行。大島鉱業所よりピアノが寄贈される。
    • 8月1日 - 校章を制定。
    • 8月31日 - 6教室を増築。
    • 11月10日 - 給食室が完成。
  • 1957年(昭和32年)
    • 2月18日 - A型給食を開始。
    • 6月18日 - 第二校舎が完成。
    • 9月20日 - 校歌を制定(作詞は浜口雅、作曲は迫新一郎による)。
  • 1959年(昭和34年)
    • 4月 - 児童数が最大の1,380名を記録する。
    • 8月30日 - 8教室を増築。
  • 1963年(昭和38年)4月6日 - 大島町立大島西小学校本郷分校の廃止に伴い、児童が転入。
  • 1967年(昭和42年)4月 - 体育館が完成。
  • 1970年(昭和45年)9月1日 - 大島炭鉱が閉山し、児童数が激減する。4月時点で644名、翌4月には220名に減少。
  • 1979年(昭和54年)12月14日 - 校舎を改築。
  • 1981年(昭和56年)3月31日 - 旧校舎の解体を完了。
  • 1985年(昭和60年)1月 - 給食を自校調理方式からセンター方式に変更。
  • 1994年(平成6年)3月31日 - 閉校。旧・大島第三小学校の校舎が新・大島東小学校の校舎として使用される。
旧・大島東小学校(二代目)
  • 1994年(平成6年)
    • 3月31日 - 旧・大島町立大島東小学校と旧・大島町立大島第三小学校が統合され、「大島町立大島東小学校」が開校。
    • 4月1日 - 統合後12学級、児童数359名でのスタート。旧・大島東小学校の校舎を廃止し、旧・大島第三小学校の校舎を使用。
    • 4月6日 - 開校式を挙行。新校歌と新校章を制定。
  • 2000年(平成12年)3月24日 - パソコンを設置。
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 西海市の発足により、「西海市立大島東小学校」(現校名)と改称。
  • 2013年(平成25年)4月1日 - 中学校統合[6]により、中学校区が西海市立大崎中学校に変更となる。
  • 2022年(令和4年)
    • 3月31日 - 閉校[1]
    • 4月1日 - 大島東小学校校地に「西海市立大崎小学校」が新設された[1]

交通アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

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  • 西海市立大島こども園(2021年4月に大島幼稚園と間瀬保育所を統合する形で開園)
  • 大島町武道館
  • 大島文化ホール
  • 大島プール

脚注

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  1. ^ a b c 西海市教育委員会大崎地区審議会だより第1号 (PDF) - 西海市ウェブサイト
  2. ^ 1945年(昭和20年)とも。
  3. ^ 同時に大島町立黒瀬小学校を「大島町立大島西小学校」、大島町立黒瀬中学校を「大島町立大島西中学校」に改称。
  4. ^ 1979年(昭和54年)には311名まで増加したが、それ以降は再び減少を始めた。
  5. ^ 大島町立大島西中学校と大島町立大島東中学校の2校が統合された。
  6. ^ 西海市立大島中学校と西海市立崎戸中学校の2校が統合された。

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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