西洞院行時
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時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 正中元年(1324年)[1][2] |
死没 | 応安2年/正平24年11月4日(1369年12月3日)[1][2] |
官位 | 正三位、参議 |
氏族 | 西洞院家 |
父母 | 父:平行高 |
兄弟 | 安居院行兼、行時 |
子 | 時盛、親長 |
西洞院 行時(にしのとういん ゆきとき)は、南北朝時代の公卿。従三位・平行高の次男。西洞院家の祖[2]。
経歴
[編集]春宮権大進・五位蔵人を経て、観応2年/正平6年(1351年)権右少弁に任じられると、文和2年/正平8年(1353年)右少弁に昇任されるがまもなくこれを辞す。延文3年/正平13年(1358年)左少弁として弁官に復すと、延文4年/正平14年(1359年)正四位下・右中弁に叙任され、延文6年/正平16年(1361年)蔵人頭兼宮内卿となる。
康安2年/正平17年(1362年)従三位に叙せられて公卿に列し、貞治6年/正平22年(1367年)甥の安居院行知に続いて参議に任ぜられた。貞治7年/正平23年(1368年)正三位に至る。
応安2年/正平24年(1369年)11月4日薨去。享年46。
官歴
[編集]注記のないものは『諸家伝』による。
- 時期不詳:正五位下。春宮権大進
- 観応元年(1350年) 10月2日:五位蔵人
- 観応2年(1351年) 8月13日:権右少弁、去蔵人
- 文和2年(1353年) 4月23日:右少弁[3]。日付不詳:辞右少弁?[3]
- 時期不詳:従四位下[3]
- 延文3年(1358年) 8月12日:左少弁[3]
- 延文4年(1359年) 3月25日:権右中弁[3]。4月21日:正四位下、右中弁[3]
- 延文6年(1361年) 3月27日:蔵人頭、宮内卿、止弁[3]
- 康安2年(1362年) 5月7日:従三位、元蔵人頭宮内卿
- 貞治6年(1367年) 12月24日:参議
- 貞治7年(1368年) 2月21日:兼遠江権守。8月13日:正三位
- 応安2年(1369年) 11月4日:薨去
系譜
[編集]『系図纂要』による。