西ドイツ国鉄V200形ディーゼル機関車
西ドイツ国鉄 V200形(220形) | |
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基本情報 | |
運用者 | ドイツ連邦鉄道 |
製造所 | クラウス=マッファイ、MaK |
製造年 |
V200.0形試作車: 1953年 同量産車: 1956年 - 1958年 V200.1形:1962年 |
製造数 |
V200.0形試作車: 5両 同量産車: 81両 V200.1形:50両 |
主要諸元 | |
軸配置 | B-B |
軌間 | 1,435 mm |
全長 |
V200.0形試作車: 18,470 mm 同量産車: 18,530 mm V200.1形:18,440 mm |
運転整備重量 | 73.5 - 81.0 t |
軸重 | 18.4 - 20.3 t |
動力伝達方式 | 液体式 |
機関 | マイバッハ製MB12V493TZ形 V形12気筒ディーゼルエンジン2基 |
変速機 | マイバッハ製K184U形×2基 |
最高運転速度 | 140 km/h |
出力 |
V200.0形試作車: 1471kW(2000PS) 同量産車: 1618kW(2200PS) V200.1形:1986kW(2700PS) |
西ドイツ国鉄V200形ディーゼル機関車は、ドイツ連邦鉄道(DB、西ドイツ国鉄)の急行用液体式ディーゼル機関車である。初期に製造されたものはV200.0形と呼ばれ、1962年からは出力を増大したV200.1形が製造された。それぞれ、1968年に220形および221形と改称されている。
製造・運用
[編集]まず1953年から翌年にかけて、クラウス=マッファイにて試作機が5両製造された。1956年より量産が開始され、同社にて61両が、マシーネンバオ・キール(現MaK、のちフォスロ)にて20両が製造された。
信頼性が高く、V200形はあらゆる幹線において急行列車を牽引し、ドイツ国営鉄道(=分割前のドイツ国時代の国営鉄道。DRのちDRG)の05形、03形、01形蒸気機関車を置き換えた。幹線が電化するにつれて、V200形は幹線以外での旅客輸送や貨物輸送にも使われるようになった。
1962年からの量産は、エンジン出力を増大したV200.1形に移行し、1965年までに50両が製造された。
1968年に、V200.0形およびV200.1形は、それぞれ220形、221形と改称された。
1977年より、V200形はドイツ北部の工場に集められた。エンジンを2基搭載するためV160形のようなエンジン1基の車両よりも高価であり、さらに列車暖房方式が蒸気暖房だったため、1984年には全車使用が停止された。
7両のV200形がスイス国有鉄道に譲渡され、Am4/4形18461-18467となった。1997年まで使われ、その後ドイツ国内の個人に売却された。アラビア国有鉄道に売却された車両もあるが、ほどなく廃車された。ギリシャ国鉄も数両を購入したが、そのうち数両のV200.1形はthe Prignitzer Eisenbahnによってドイツに逆輸入され、270形とされた。
DB博物館がV200 007を所有しているほか、数両のV200形がドイツ国内で保存されている。同博物館には試作機も保管されていたが、2005年10月17日の火事により焼損した。
構造
[編集]エンジン・液体変速機・台車で1組の駆動システムを構成し、これを2組搭載している。エンジンはマイバッハ製V型12気筒ディーゼルエンジンである。
東ドイツのV200形(120形、のちの220形)
[編集]現在のドイツ鉄道(DR)の前身のひとつである、旧東ドイツの東ドイツ国鉄(GDR)にもV200形の形式を名乗る機関車が在籍していた。
これはソ連製の電気式ディーゼル機関車M62で、その騒音と排気の黒煙から、taiga drum(タイガの太鼓)という愛称を持っていた。のちに120形と改称され、さらに東西ドイツ統一後、西ドイツ国鉄が使用していた同名のV200(すでに220形と改称されていた)の使用が停止されたのちにこの車両はDBにより220形に分類された。
文献
[編集]- Mattias Maier Die Baureihe V200 Eisenbahn-Kurier (EK-Verlag; Freiburg) ISBN 3-88255-208-5