裴英起
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裴 英起(はい えいき、生年不詳 - 556年)は、中国の東魏から北斉にかけての官僚・軍人。本貫は河東郡聞喜県[1]。
経歴
[編集]渤海相の裴約の子として生まれた。聡明でユーモアに富み、劇談を好み、礼儀や規範に拘らなかった。東魏に仕えて定州長史に上った。高澄に召し出されて行台左丞となった[2][3]。武定末年、洛州刺史となった[4]。北斉の天保年間、都官尚書となり、侍中を兼ねた[2][3]。
天保7年(556年)3月、英起は蕭軌・李希光・東方老・王敬宝らとともに長江を渡り、任約・徐嗣徽らと合流して柵口に進出し、梁山に向かった。梁の帳内盪主黄叢の迎撃を受けて敗れ、前軍の船艦を焼かれた。軍を整えて蕪湖を保った。5月、秣陵故城に到達した[5][6]。石頭城を襲撃して攻め落とした[7][3][8]。6月、英起は鍾山の西で陳霸先率いる梁軍と戦い、長雨に遭って敗れ、捕らえられて殺害された[9][10][11][12][13][6]。開府・尚書左僕射の位を追贈された[2][3]。
脚注
[編集]伝記資料
[編集]参考文献
[編集]- 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6。
- 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1。
- 『周書』中華書局、1971年。ISBN 7-101-00315-X。
- 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4。
- 『梁書』中華書局、1973年。ISBN 7-101-00311-7。
- 『陳書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00312-5。
- 『南史』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00317-6。