補陀洛寺 (鎌倉市)
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補陀洛寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 神奈川県鎌倉市材木座1-12-11 |
位置 | 北緯35度18分21.4秒 東経139度33分10.1秒 / 北緯35.305944度 東経139.552806度座標: 北緯35度18分21.4秒 東経139度33分10.1秒 / 北緯35.305944度 東経139.552806度 |
山号 | 南向山(なんこうさん)[1] |
院号 | 帰命院[1] |
宗旨 | 古義真言宗[1] |
宗派 | 真言宗大覚寺派 |
本尊 | 十一面観音菩薩 |
創建年 | 養和元年(1181年) |
開山 | 文覚上人[1] |
開基 | 源頼朝[1] |
中興 | 頼基[1] |
正式名 | 南向山 帰命院 補陀洛寺 |
別称 | 竜巻寺 |
札所等 | 鎌倉三十三観音霊場第17番札所 |
文化財 | 木造十一面観音立像など(本文参照) |
法人番号 | 6021005001959 |
補陀洛寺(ふだらくじ)は、神奈川県鎌倉市材木座に所在する真言宗大覚寺派の寺院。山号は南向山。創建は養和元年(1181年)で、開山は文覚上人。開基は源頼朝。本尊は十一面観音菩薩。たびたび竜巻に襲われているため、別名「竜巻寺」とも[2]。鎌倉三十三観音霊場第17番札所。
歴史
[編集]源頼朝の祈願所として建立された。もと京都仁和寺の末寺で、その後鎌倉市手広の青蓮寺の末寺だったが、現在は京都大覚寺の末寺となっている。本尊の十一面観音立像(平安時代)、薬師如来及び両脇侍像(中尊は行基、脇侍は運慶作との伝があるが、江戸時代の作[3]とも)など多くの仏像が安置されており、明治元年に寺が火災で建物は全半壊した際、これらの仏像類が全て無事であったという記録も残っている。
文化財
[編集]- 木造十一面観音立像 - 平安時代[4]
- 木造不動明王坐像 - 江戸時代
- 木造薬師如来及び両脇侍(日光菩薩・月光菩薩)像 - 江戸時代(伝鎌倉時代以前)
- 木造地蔵菩薩坐像(踏み下げ像) - 室町時代
- 木造弘法大師(秘鍵大師)坐像 - 南北朝時代
- 伝文覚上人裸形像
- 平宗盛の赤旗 - 平安時代(後期)
アクセス
[編集]- 江ノ電和田塚駅より徒歩17分
- 京浜急行バス鎌倉発逗子駅行き鎌40系統、鎌倉発小坪行き鎌41系統材木座バス停より徒歩2分
- 駐車場なし
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『鎌倉の寺 小辞典』 かまくら春秋社、2001年6月、ISBN 978-4-774-00173-9
- 『鎌倉仏像めぐり 古都の名刹を訪ね、名仏に出逢う・感じる!』 学研〈学研ムック〉、2010年6月、ISBN 978-4-056-05949-6
- 『鎌倉古社寺辞典』 吉川弘文館、2011年7月、ISBN 978-4-642-08060-6
- 『鎌倉の寺社122を歩く』 PHP研究所〈PHP新書〉、2013年1月17日、ISBN 978-4-569-81035-5
- 『楽学ブックス 古寺巡礼19 鎌倉の古道と仏像』 JTBパブリッシング、2013年7月1日、pp.42-45、ISBN 978-4-533-09224-4
- 河井恒久 等編 編「巻之七 補陀落寺」『新編鎌倉志』 第5冊、大日本地誌大系刊行会〈大日本地誌大系〉、1915年、126頁。NDLJP:952770/78。
関連文献
[編集]- 「山之内庄材木座村補陀洛寺」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之95村里部鎌倉郡巻之27、雄山閣、1932年8月、32頁。NDLJP:1179240/23。