コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

行延

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

行延(ぎょうえん)は、平安時代後期の園城寺の僧侶。法勝寺供僧。習定坊[1]三河阿闍梨[2]と称した[注 1]。父は三河守源頼綱[1][注 2]

略歴

[編集]

寛治7年(1093年)に園城寺の良意権僧正から伝法を受けた[1]摂関家の人々のための祈祷を勤修し[3]藤原道長が建立した浄妙寺 (木幡寺)の権別当に就任[1]する一方、白河院が建立した法勝寺の供僧も務めた[4]関白藤原忠実が失脚した保安元年の政変に際して法勝寺の供僧職を解かれた[5]

子孫

[編集]
  • 『尊卑分脈』による。
  • 太字は行延の子孫。
 
源頼光
 
頼国
 
実国
 
行実
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
行延
 
国隆[注 3]
 
国道[注 4]
 
国長[注 5]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
国時
 
 
 
 
 
 
国平
 
国政[注 6]
 
 
 
 
 
 
 
 
国俊[注 7]
 
 
 
 
頼綱
 
明国
 
行国
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
有頼[注 8]
 
頼氏[注 9]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
慈源(慈賢?)[注 10]
 
 
 
 
 
 
盛隆(改国隆)[注 11]
 
国通[注 12]
 
国長[注 13]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
国時[注 14]
 
 
 
 
 
 
国平[注 15]
 
国政[注 16]
 
 
 
 
 
仲政
 
頼政
 
仲綱
 
 
 
 
 
 
 
 
 
国政[注 17]
 
 
 
 
 
 
頼兼
 
頼茂
 
 
 
 
 
 
 
 
慈賢[注 18]
 
 
 
 
行延[注 19]
 
 
 
 
国直
 
国政[注 20] → [山県氏
 
 

行延は僧侶であったが子を儲けたとされ、『尊卑分脈』によるとその子ども達は行延の兄弟の源明国の猶子となった。仁治元年(1240年)に天台座主となった慈賢[注 21]も行延の子孫であった可能性が指摘される[6]。また、美濃山県氏等の先祖にあたる源国政も『尊卑分脈』では行延の子孫の国平の子であるともされている。なお『尊卑分脈』では行延の系譜が源実国の下に重出している。

脚注

[編集]

注釈

  1. ^ 尊卑分脈』では一部で行延を法印としているが、行延が法印に叙せられた記録はない。また、続群書類従所収の土岐系図や『系図纂要』巻72所収の多田氏系図の行延の注記では「信濃禅師」と号したとあるが、これもこれら以外の史料では確認できない。
  2. ^ 『尊卑分脈』で行延は源実国と頼綱の下に見えるが、仮にどちらかからの養子関係であった場合、系図の原則としては生家ではなく養家の方に子孫を書き継いで行くのだから、頼綱が実父で実国が養父ということになろう。ただし、『園城寺伝法血脈』で頼綱の子とされる行延が実国の子あるいは猶子であると記した史料は無いので、実国の下の部分は錯誤による混入の可能性の方が高いのではないか。
  3. ^ 中右記』嘉承4年(1106年)11月9日条に見える国隆と同人か。
  4. ^ 木工助。
  5. ^ 従五位下式部丞。『愚昧記』治承元年(1177年)2月~5月に見える藤原経宗家人の国長と同人か。
  6. ^ 匂当。
  7. ^ 帯刀先生。
  8. ^ 猶子。行延子。多田四郎。
  9. ^ 蔵人。
  10. ^ 天台座主。大夫僧正。頼政猶子?
  11. ^ 猶子。実父行延。斎院次官。『中右記』嘉承4年(1106年)11月9日条に見える国隆と同人か。
  12. ^ 木工助。
  13. ^ 従五位下式部丞。『愚昧記』治承元年(1177年)2月~5月に見える藤原経宗家人の国長と同人か。
  14. ^ 匂当。
  15. ^ 斎院次官。
  16. ^ 匂当。
  17. ^ 山県三郎。実は斎院次官国平子。
  18. ^ 猶子?実父は有頼か。
  19. ^ 男子有り。明国子と為す。
  20. ^ 山県先生。従五位下斎院次官。国平子か。
  21. ^ 『天台座主記』では慈賢は「源三位頼政卿親類」、「摂津守源頼兼子」とされる。

出典

  1. ^ a b c d 『園城寺伝法血脈』。
  2. ^ 中右記』永久2年(1114年)7月14日条。
  3. ^ 殿暦』天永元年(1110年)10月5日条、同2年7月29日条、同8月4日条、同30日条等。
  4. ^ 『中右記』永久2年(1114年)7月14日条、『為房卿記(大記)』同年11月29日条、『五壇法日記』元永元年(1118年)3月15日条等。
  5. ^ 『中右記』保安元年(1120年)11月19日条。
  6. ^ 多賀1973、pp.229-233。

参考文献

[編集]