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蟻川芳子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蟻川 芳子(ありかわ よしこ、1940年7月31日 - )は、日本化学者日本女子大学附属中学校・高等学校校長や、日本女子大学学長、学校法人日本女子大学理事長、日本分析化学会副会長などを務めた。

人物・経歴

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東京都生まれ。1956年日本女子大学附属中学校卒業。1959年日本女子大学附属高等学校卒業[1]。1963年日本女子大学家政学部家政理学科一部卒業。1968年東京工業大学(のちの東京科学大学)大学院理工学研究科化学専攻博士課程修了、理学博士[2]、日本女子大学家政学部専任講師。1975年日本女子大学家政学部助教授[1][3]。1987年日本女子大学家政学部教授[3][1]ウィスコンシン大学ミルウォーキー校客員研究員[1][3][4]。1992年日本女子大学理学部教授。1993年日本女子大学学生生活部長。2001年日本女子大学年総合研究所長。2002年日本女子大学入学部長[1]学校法人日本女子大学評議員。2003年日本分析化学会副会長・理事[3]。2004年日本分析化学会監事[1]

2005年日本女子大学副学長、学校法人日本女子大学理事。2006年日本女子大学附属中学校・高等学校校長[3]。2008年日本分析化学会学会功労賞受賞[4]。2009年日本化学会フェロー、日本女子大学学長、学校法人日本女子大学理事長、財団法人大学基準協会理事、日本女子大学名誉教授、社団法人日本私立大学連盟常務理事、放送大学学園理事・評議員、財団法人渋沢栄一記念財団評議員[3]、国立大学法人東京工業大学経営協議会委員、国立大学法人東京工業大学学長選考会議委員[5]。2012年日本化学会化学教育賞受賞[4]。2014年一般社団法人日本女子教育文化振興桜楓会理事長。2015年公益財団法人小柳財団理事。2017年学校法人日本女子大学理事長代行、ハーバー研究所取締役(監査等委員)。2019年学校法人日本女子大学理事長。2021年学校法人日本女子大学顧問[3][6]

日本女子大学学長選をめぐって

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2018年、日本女子大学の学長選に際して、蟻川が最多得票を得た大場昌子の指名を拒否したため、有馬朗人西原春夫平岩弓枝による調停が行われた[7]。蟻川は、当初、調停案を受け入れる姿勢であったが、後に「調停に反対だった」として調停を拒否した[7]。その結果、文部科学省から日本弁護士連合会のガイドラインに従って第三者委員会を選び、その意見を聞いて2019年1月31日までに新学長を選ぶように通達された[7]。その後、大場が学長に就任した。なお、蟻川・大場はいずれも2020年で役職を降りた。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 「蟻 川 芳 子 氏 -」日本分析化学会
  2. ^ 蟻川芳子『火成岩中のイオウの定量』東京工業大学〈理学博士 甲第226号〉、1968年。 NAID 500000416485https://id.ndl.go.jp/bib/000009216434 
  3. ^ a b c d e f g 「【提出書類】有価証券報告書【根拠条文】金融商品取引法第24条第1項【提出先】関東財務局長【提出日】平成30年6月18日【事業年度】第35期(自 平成29年4月1日 至 平成30年3月31日)【会社名】株式会社ハーバー研究所」 日本経済新聞
  4. ^ a b c 世界へ羽ばたく女性たちセカンドアカデミー
  5. ^ 「平成21年度 第1回 経営協議会議事要録」東京工業大学
  6. ^ 「学校法人日本女子大学理事長、日本女子大学学長 選任のお知らせ」 日本女子大学
  7. ^ a b c 2年間“理事長”“学長”が不在の名門「日本女子大」 調停役も激怒する異常事態”. デイリー新潮. 2021年9月2日閲覧。
先代
後藤祥子
日本女子大学理事長兼学長
2009年 - 2013年
次代
佐藤和人
先代
佐藤和人
日本女子大学理事長
2019年 - 2020年
次代
今市涼子