つび
つび(𡱖[1][2][3][4][5]、開[2]、玉門[6])は、古典日本語において、女性器(陰門)を表す語彙(和語)である[1][4][5][7]。転じて、性交を指すこともある[4][5][8]。
狭いところを意味する「窄(つぼみ)」のボミを縮約した語とする説や[9][6][4]、「壺」の意だとする説がある[10]。巻貝の総称を指す「螺(つび)」と同源であるともされる[2][4]。
上等なもの(名器[11])を上開(じょうかい)[12][13][14][注釈 1]、または妙開(みょうかい)と呼んだ[16][14]。特に「つくしつび(筑紫都毘)」が第一のものだとされ、「いせまら(伊勢麻羅)と呼ばれる男根と対比される[6][17][18]。対義語は下開(げかい、したぼぼ[11])[19]。
葛飾北斎の『絵本つひの雛形』において、題の「つひ」は対(番)とつびを掛けたものだとされる[20]。
表記
[編集]「𡱖」は国字で、尻を意味する尸と、「赤い」を意味する「朱」(もしくは「唇」を意図した「咮」)を合わせた会意文字である[1]。『享和本新撰字鏡』に「𡱖 朱音開也久保」とある[2]。
古くから「つび」や「くぼ」には「開」の字を当てたが、中国の俗用に由来するとされる[2]。また、『和名抄』に「俗に人或いは此の字(=閉)を持って男陰と為し、開字を以て女陰と為す。その説未だ詳ならず」とある[2]。「開」や「玉門」は「ぼぼ」とも読まれ、同じく女性器を指す古語である[21][14][22]。
古くは通鼻、都美、豆非などの表記も知られる[9]。ちび[23][24]、おつんび[25]、つびたり[10][26]とも言われる。また、つぼ(壺)[27]、つぶ[28]も同義である。つぶは但馬地方の方言である[28]。
用例
[編集]『宇津保物語』「国譲」下には、「このめのこともはいかなるつひかつきたらむ」とある[2]。『今昔物語集』巻二十六・第二には、「哀れ、一とせ国に下りし時、此こを過ぎし、術なく開の欲しくて堪へ難かりしかば」とある[2]。
たこつび
[編集]たこつび(蛸つび、蛸玉門[29]、蛸開[29])は上開の代表格とされ[14]、「蛸壺」[22][30][31]や、単に「蛸」とも呼ばれた[32][33][34][31]。タコの吸盤のように引き付ける女陰をいう[31]。それを持つ女性も「蛸」と表現される[31]。
江戸時代の『雨夜の竹がり』には「唇の厚きは玉門のふち厚くして俗にいふたこつびといふものなり」とある[29]。また『女才学絵抄』(天保七年)には「蛸開さねいぼの如く分れて風味至つて上品甘露の如し」や「玉門しまりよく玉中奥の方至つて狭く浅くして短き男根も子つぼへ届きへのこの鈴口子つぼへ吸ひこまるるやうにて其心地よさたとへん方なし」とある[29]。『阥阦手事巻』にも例があり、「たこつび俗にいふたこつぼなり、さねいぼの如く分れて子つぼ前へはりいでまらのあたまをくはへて引込むやうにおぼえ開中しまりよく到つて味ひよし」とある[29]。
歌川国政『仮枕浮名之仇浪』(1855年)には「古今の名開は、巾着開(きんちゃくぼぼ)とも蛸壺とも、たとえんがたなき心地よさ。」とある[22]。『誹風末摘花』には「蛸壺でけつの毛迄も吸取られ」という表現がある[31]。
「蛸」として次のような表現がある。
- 「又蛸にひつたくられる冑(かぶと)形」[31][34]
- 「おいしいこと壺は蛸だが面ラは芋」[34]
- 「芋のあるかはりに蛸だと下女はしやれ」[34]
- 「赤貝の味ひ蛸の味がする」[34]
- 「竜宮の下女鰒もあり蛸もあり」[34]
- 「芋づらも蛸の果報に生れつき」[31]
- 「章魚と麩を出してもてなす出合茶屋」[31][35]
- 「閨中に入って妾は蛸になる」[31][35]
- 「一高二まん三蛤四たこ五雷六洗濯七巾着八ひろ九下十くさい」[11]
ひろつび
[編集]ひろつび(広開[36]、広通鼻[37])は大きいものをいう[38]。ひろぼぼ(広開)[36][39]や据風呂(すえぶろ)[37][38]とも言われる。下開とされる[19][39]。
『阥阦手事巻』には、「ひろつびは年とりし迄子を産まぬ女にあり、味わろし」[37]や、「夫れ恋に上下の分ちは非んども開(ぼぼ)に上下の差別ありもしその下開或は広開(ひろつび)なるもの終に夫の愛を失ふの類あり」[19]と書かれる。『女才学絵抄』には「ひろ開(ぼぼ)、下品也、中に道具なくしまりなくして味よからず」とある[39]。『釈花八粧矢的文庫』に「只此上は広開(ひろぼぼ)の娘を探すも忠義の一つ」と書かれる[39]。
くさつび
[編集]くさつびは臭いの酷いものをいう[40]。すそわきが(裾腋臭)とも言われる[40][41]。
『佳撰開十八品の図』には、「ほほ赤きものは必ずぼぼ臭し、色もふるづけ茄子の如く手入れわるきぬかみその如し」とある[40]。
母開
[編集]母開(ぼかい、ははつび)は中世日本の一般庶民の間で行われていた悪口であり、直接的には母親の性交(開)を示し、母子相姦を意味していたと考えられる[8][42]。同様の語句に平安時代から用いられていた「母婚け(おやまけ)」がある[8]。建長(鎌倉時代)の記録では、「母開」と放言した者に対し過料が科されている[8]。この悪口は「お前の母ちゃんでべそ!」という言葉にもつながっているとされる[42]。
同義語
[編集]つびの同義語に「玉門(ぎょくもん)」[43]、「ひなと(火之戸[11]、比奈登[11][44])」、「ひなど(雛戸[44])」、「ほと(陰[11][45]、火戸[11]、火処[11])」、「ぼぼ(陰門[11]、開[11])」[43]、「命門(めいもん)」[46]などがある。
「しなたりくぼ(𬮆[47][48][49][50]・𫔛[51])」も女性器を表す[52][50][51]。『日本霊異記』(810年–824年)に初の用例がみられ、「挙裳而婚、随𨳯入𬮆攜手倶死」(書き下し:裳を挙げて婚ふ、𨳯(まら)の𬮆(しなたりくぼ)に入るに随ひて、手を携へて倶に死ぬ[53]。)とある[47][48]。略して「しなたり(𬮆、閖、閇[53])」ともいう[50][51][53][54]。しなたり(騒水[55])は「滴り」の意で[47]、男女の生殖器から出る液(淫液、精液)を指し[54]、淫液の滴る凹(くぼ、窪)を表すとされる[47][53]。しなだりくぼ(騒水窪)とも言われる[56]。また、単に「くぼ(久保、窪)」[57]、または「あわびくぼ(蚫苦本)」[58]とも言われる。
「屄(ヒ)」も女性の陰部を指し[59][60]、ほかに「𡲚」や「𡲰」とともに「つび」の字であるとされる[6]。漢語では「屄也」(ヘイヤ)とも言われる[6]。
派生語
[編集]陰毛は「つび毛(つびげ)」と言われる[9][61]。『花の幸』[62](昭和28年)に「つび毛薄らかに柔らかく生えていと滑らかに」とある[61]。
ケジラミは「つび虱(陰虱、陰蝨、つびじらみ)」と言われる[9][63]。『和漢三才図会』五二には「陰蝨は即ち陰汁の湿熱の気化して生じ」とあり、淫液の後始末をしないことで生じると考えられていた[63]。
女性の瘡毒を「つびかさ」という[9]。また、女子の手淫を「つびへんずり」という[64]。『千ぐさの花』には「三寸の指をぼぼにおしこみハアハアスウスウつびへんずりの一人よがり」とある[64]。
刺胞動物のイソギンチャクは、「磯ボボ」や「磯ツビ」とも呼ばれた[65]。「イソツビ」は特に房州保田の方言であると言われる[65]。その形状や括約筋を持つことを女性器に喩えたものであるとされる[65]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 藤堂ほか 2011, p. 454.
- ^ a b c d e f g h 中村ほか 1994, p. 461.
- ^ 新潮社 2007, p. 661.
- ^ a b c d e 前田 2005, p. 777.
- ^ a b c 小学館 2006, p. 1576.
- ^ a b c d e 木村 & 小出 2000, p. 788, 「つび」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 788, 「つび」.
- ^ a b c d 笠松宏至. "悪口". 世界大百科事典(旧版). コトバンクより2024年9月9日閲覧。
- ^ a b c d e 木村 & 小出 2000, p. 788, 「つび」『猥褻廃語辞彙』 (1924).
- ^ a b 木村 & 小出 2000, p. 788, 「ツビ【通鼻】」『世界艶語辞典』 (1946).
- ^ a b c d e f g h i j 山口 2016, 0296.14.
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 587, 「じょうかい」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b 小学館 2006, p. 567.
- ^ a b c d 永井義男 (2022年3月31日). “【江戸の性語辞典】女性の陰部を評した「上開(じょうかい)」とは?”. 歴史人. 株式会社ABCアーク. 2024年9月9日閲覧。
- ^ 大久保 & 木下 2014, p. 448.
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 1215, 「みょうかい」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 89, 「伊勢(いせ)麻羅筑紫都毘」」『猥褻廃語辞彙』 (1924).
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 89, 「いせまらつくしつび」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b c 木村 & 小出 2000, p. 408, 「げかい」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ リチャード・レイン『定本・浮世絵春画名品集成 13 北齋【つひの雛形】』林美一、河出書房新社、1997年4月1日。ISBN 978-4309910239。
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 1160, 「ぼぼ」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b c 永井義男 (2022年12月29日). “紐できゅっと口を締める時の感覚をもつ女性の陰部「巾着ぼぼ」【江戸の性語辞典】”. 歴史人. 株式会社ABCアーク. 2024年9月9日閲覧。
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 788, 「ツビ又ハチビ」『日本隠語集』 (1892).
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 788, 「つび」『現代隠語辞典』 (1956).
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 788, 「つび」『符牒六千語 芸者からスリまで』 (1955).
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 788, 「つびたり」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 789, 「つぼ②」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b 木村 & 小出 2000, p. 789, 「つぶ④」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b c d e 木村 & 小出 2000, p. 701, 「たこつび」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 701, 「たこつぼ」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b c d e f g h i 大久保 & 木下 2014, p. 594.
- ^ 尚学図書 1981, p. 1547.
- ^ 藤木 1958, pp. 46–55.
- ^ a b c d e f 木村 & 小出 2000, p. 701, 「たこ⑧」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b 神崎 1994, p. 30.
- ^ a b 木村 & 小出 2000, p. 1081, 「ひろつび」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b c 木村 & 小出 2000, p. 1081, 「ひろつび【広通鼻】」『符牒六千語 芸者からスリまで』 (1955).
- ^ a b 木村 & 小出 2000, p. 621, 「すゑぶろ」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b c d 木村 & 小出 2000, p. 1082, 「ひろぼぼ」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b c 木村 & 小出 2000, p. 374, 「くさつび」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 632, 「すそわきが」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b 「週刊文春」編集部 (2021年9月8日). “「おまえのカアちゃん、でべそ!」のルーツは鎌倉時代の悪口に…そこに秘められた“卑猥で強烈な意味”とは”. 文春オンライン. 2024年9月9日閲覧。
- ^ a b 木村 & 小出 2000, p. 355, 「ぎょくもん」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b 木村 & 小出 2000, p. 1065, 「ひなと/ひなど」.
- ^ 藤堂ほか 2011, p. 1702.
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 1229, 「めいもん」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b c d 木村 & 小出 2000, p. 556, 「しなたりくぼ」『猥褻廃語辞彙』 (1924).
- ^ a b 木村 & 小出 2000, p. 556, 「しなたりくぼ」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 556, 「シナタリクボ【𬮆】」『世界艶語辞典』 (1946).
- ^ a b c 新潮社 2007, p. 2331.
- ^ a b c 新潮社 2007, p. 2338.
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 556, 「しなたりくぼ/しなだりくぼ」.
- ^ a b c d 中村ほか 1987, p. 118.
- ^ a b 小学館 2006, p. 370.
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 556, 「しなたり/しなだり」.
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 556, 「シナダリクボ【騒水窪】」『語源明解・俗語と隠語』 (1949).
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 385, 「くぼ②」.
- ^ 木村 & 小出 2000, p. 74, 「あわびくぼ」.
- ^ 藤堂ほか 2011, p. 453.
- ^ 新潮社 2007, p. 659.
- ^ a b 木村 & 小出 2000, p. 788, 「つびげ」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ “花の幸 好色四季ばなし 恋情玉葛”. NDL サーチ. 国立国会図書館. 2024年9月10日閲覧。
- ^ a b 中村ほか 1994, p. 461, 「つびじらみ【陰虱】」.
- ^ a b 木村 & 小出 2000, p. 788, 「つびへんずり」『日本性語大辞典』 (1928).
- ^ a b c 木村 & 小出 2000, p. 90, 「磯(いそ)つび」『猥褻廃語辞彙』 (1924).
参考文献
[編集]- 大久保忠国、木下和子 編『江戸語辞典』(新装普及版)東京堂出版、2014年9月20日。ISBN 978-4490108514。
- 神崎宣武 著「異形とひとびとの想像力 タコの語源と伝説」、奥谷喬司、神崎宣武 編『タコは、なぜ元気なのか―タコの生態と民俗』草思社、1994年2月25日、28–30頁。ISBN 978-4-7942-0543-8。
- 木村義之、小出美河子 編『隠語大辞典』皓星社、2000年4月15日。ISBN 4774402850。
- 小学館国語辞典編集部 編『精選版 日本国語大辞典 第二巻』小学館、2006年2月10日。ISBN 4095210222。
- 尚学図書 編『国語大辞典』小学館、1981年12月10日。
- 新潮社 編『新潮日本語漢字辞典』(初版)新潮社、2007年9月25日。ISBN 978-4-10-730215-1。
- 藤堂明保、松本昭、竹田晃 ほか 編『漢字源』(改訂第5版)学研教育出版、2011年1月1日。ISBN 9784053031013。
- 中村幸彦、岡見正雄、阪倉篤義 編『角川古語大辞典 第三巻』角川書店、1987年9月15日。ISBN 4040119304。
- 中村幸彦、岡見正雄、阪倉篤義 編『角川古語大辞典 第四巻』角川書店、1994年10月10日。ISBN 4040119401。
- 藤木三郎「還俗 ―元禄五年の路通に就て」『連歌俳諧研究』第17号、1958年、46–55頁、doi:10.11180/haibun1951.1958.17_46。
- 前田富祺『日本語源大辞典』小学館、2005年4月1日。ISBN 4095011815。
- 山口翼 編『日本語シソーラス 第2版―類語検索事典』大修館書店、2016年5月30日。ISBN 978-4469021202。