虚空蔵塚古墳 (渋川市)
虚空蔵塚古墳 | |
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墳丘 | |
所在地 | 群馬県渋川市渋川123 |
位置 | 北緯36度30分2.58秒 東経138度59分43.02秒 / 北緯36.5007167度 東経138.9952833度座標: 北緯36度30分2.58秒 東経138度59分43.02秒 / 北緯36.5007167度 東経138.9952833度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径14m 高さ3m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
築造時期 | 7世紀末 |
史跡 | 群馬県指定史跡「虚空蔵塚古墳」 |
地図 |
虚空蔵塚古墳(こくぞうづかこふん)は、群馬県渋川市渋川にある古墳。形状は円墳。群馬県指定史跡に指定されている。
概要
[編集]群馬県中部、榛名山東麓の平沢川左岸の傾斜地において[1]、榛名山二ッ岳の噴火に伴う軽石層(Hr-FP、6世紀中葉)上に築造された古墳である。現在は石室内部に虚空蔵菩薩が祀られる。古くから開口するため盗掘に遭っているほか、1952年(昭和27年)に発掘調査が実施されている。
墳形は円形で、直径約14メートル・高さ約3メートルを測るが、方形の可能性も指摘される[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南南西方向に開口する。羨道はなく玄室・前庭部のみからなる石室で、切石組による精巧な作りとして注目される。盗掘のため副葬品は詳らかでない[2]。築造時期は古墳時代終末期の7世紀末葉[2](または7世紀後半[3])頃と推定される。
古墳域は1952年(昭和27年)に群馬県指定史跡に指定された[2]。現在では石室内への立ち入りは制限されている。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南南西方向に開口する。羨道はなく玄室・前庭部のみからなる石室で、長さ3.1メートル・幅1.3-1.45メートル・高さ1.9メートルを測る[2]。
石室の石材は、玄室側壁では角閃石安山岩の切石による切石組積で、玄室奥壁では自然石の一枚石、玄室天井では自然石4石である[2]。床面には塼状の切石が敷き詰められる[2]。また玄室の前面には玄門が構築されており、幅0.95メートル・高さ0.95メートルを測る[2]。切石による精巧な玄門で、門柱・冠石の前面は内側に刳り込まれるほか、冠石の玄室側中央にも刳り込みが、玄室両側壁の前端にも方形小孔が認められ、扉石による閉塞構造の存在を示唆する[4][2]。
石室の特徴としては蛇穴山古墳(前橋市)との類似が指摘される[4][2]。
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玄門
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前庭部
文化財
[編集]群馬県指定文化財
[編集]- 史跡
- 虚空蔵塚古墳 - 1952年(昭和27年)11月11日指定[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(群馬県教育委員会・渋川市教育委員会、1988年設置)
- 「虚空蔵塚古墳」『日本歴史地名大系 10 群馬県の地名』平凡社、1987年。ISBN 4582490107。
- 桜場一寿「虚空蔵塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 尾崎喜左雄「群馬県渋川市虚空蔵塚古墳」『日本考古学年報5』日本考古学協会、1957年。
- 「虚空蔵塚古墳」『渋川地区遺跡調査報告1 -昭和55年度-平成9年度調査遺跡の整理報告-(渋川市埋蔵文化財発掘調査報告書 第44集)』渋川市教育委員会、2020年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 旧渋川市地区の指定文化財 > 虚空蔵塚古墳 - 渋川市ホームページ