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蘭越母子殺傷事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蘭越母子殺傷事件(らんこしぼしさっしょうじけん)とは、2007年平成19年)に北海道磯谷郡蘭越町で発生した事件。

事件

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男性W・Y(以下、「W」という。)は、2007年平成19年)9月14日夜、出会い系サイトで知り合った女性Aから現金を強取しようと企て、蘭越町の道路工事現場の土捨て場で、殺意をもって、A(当時37歳)の頭を鈍器様のもので多数回殴打し、同人所有の現金40万円入りの財布1個を強取した。
その結果、Aは9か所の頭部挫裂創群、頭蓋骨粉砕骨折、大脳右半球挫滅、広範囲の脳挫傷等の傷害を負い、受傷後極めて短時間のうちに、頭部打撲に基づく脳挫滅により、死亡した。(判示第1・強盗殺人罪)。

また、Aと共にいた同人の長女B(当時7歳)に対し、殺意をもって、同人の頭部を鈍器様のもので1回強打し、脳挫傷及び開放性頭蓋骨陥没骨折等の傷害を負わせた(判示第2・強盗殺人未遂罪)。

事件翌日の9月15日、AとBは倒れているところを、測量のために現場を通りかかった従業員らにより発見された。その際、2人の周辺に、2人の所持品が多数散乱するなどしていたが、2人が身に付けていたものや周辺に散乱していた所持品の中に現金はなく、Aが事件当日に所持していた銀色の二つ折りの財布(以下「財布」という。)や、2人がそれぞれ所持していた携帯電話機もなかった。

Aはすでに死亡していたが、Bは一命を取り留め、受傷の翌日である9月15日に病院に入院し、同日から196日間の入院加療を経て、2008年平成20年)3月28日に退院した。

捜査

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北海道警察は同年9月16日に、本事件を、殺人・同未遂事件と断定、同署に捜査本部(本部長・坂口拓也刑事部長)を設置し、100人態勢で本格捜査に乗り出した。

調べや関係者によると、Bは発見時、母Aの遺体から五メートルほど離れた場所に横たわり、頭の骨を折る重傷を負っていた。半袖に短パン姿で「寒い、寒い」と体を震わせ、「札幌から来た。お母さんが知らないおじさんとけんかをした」などと話していた。
Aは後頭部を中心にバールのような硬いもので殴られたあとが9カ所もあった。Aの手には争った時にできる傷はなく、Aの頭部周辺に直径70〜80センチの血痕があったため、捜査本部は、Aが土捨て場で後ろから頭部を殴られ、殺害された可能性が高いとみた。

また、捜査本部によると、Aの携帯電話の発信記録や自宅にあったメモ帳、名刺などから、Aと出会い系サイトを通して知り合った十人前後の男性が浮上。さらに調べた結果、寿都町在住のWが事件当日の午前から午後にかけて、Aと複数回、通話していたことが判明した。捜査本部は、蘭越町内で凶器やAの所持品の捜索も行った。また、Wは以前に、事件現場の土捨て場に工事関係者として出入りしていたことも確認された。

2009年平成21年)4月22日にWは強盗殺人罪などで逮捕された。Aの携帯電話の通信記録などからWが浮上。北海道警察は事件発生直後から複数回にわたり、任意で事情を聴いていたが、Wはアリバイを主張し、関与を否定していた。

Wはその後も容疑を否認したが、札幌地方検察庁5月13日にWを強盗殺人罪強盗殺人未遂罪起訴した。5月21日から始まる裁判員制度を目前にしての起訴であった。強盗殺人罪は法定刑に死刑や無期懲役が含まれる犯罪である(強盗殺人罪の法定刑は死刑と無期懲役しかない)ため裁判員裁判の対象となるのだが、本事件は裁判員裁判開始より前の起訴だったため、職業裁判官のみで裁判が行われることになった。

裁判

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最高裁判所が1983年昭和58年7月に連続4人射殺事件の上告判決で示した死刑選択基準「永山基準」では「犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状」といった事情を総合的に考慮し、「その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される」と判示されている。同判決では、「ことに」と強調した上で被害者数に言及しているため、同判決後の刑事裁判では殺害された被害者が1人の場合、大半で懲役刑が選択されていた。

被告人Wは捜査段階から一貫して犯行を否認しているため、裁判では、Wが犯人かどうかが争点になった。また、裁判員裁判開始直前に起訴された事件であったため、公判では、裁判員制度が意識された。

W及び弁護人は、札幌地方裁判所で行われた公判で、Wは犯人ではなく無罪である、と主張した[1]。一方、札幌地方検察庁は以下のの7点を指摘し、これらの事情を総合すれば、Wが本件犯人であることが推認される、と主張した。

  1. AとBが、本件当日の午後5時47分過ぎころに、Wの運転する車に同乗していたところ、その後、同車両から降りることなく本件現場に向かったといえること[1]
  2. Wは、Aが現金40万円を所持していることを知っており、これを強奪する目的を持っていたこと[1]
  3. Wが、特殊な場所である本件現場に土地勘を有していたこと[1]
  4. Wが、Aら2人の携帯電話機に自己の痕跡を残しており、これらを持ち去る必要があったこと[1]
  5. Wが、事件当日の午後9時48分ころ、本件現場の西方にあり、2人の各携帯電話機が投棄された場所とW方の間に位置する場所にいたこと
  6. Wが、本件凶器の特徴に符合する工具を自己の生活領域に常時持ち合わせていたこと[1]
  7. Wが、Aと面識があり,AとBに警戒心を抱かせない人物であったこと[1]

また、公判には、母Aを殺害され自らも重傷を負ったBも出廷し、「事件当時、小学校の遠足が終わって帰宅し、自宅の前で、お母さん(A)と共に知らない男の運転する車に乗り、ドライブに出かけた。車内では、お母さんが助手席に、私が後部座席に座った。」「ドライブの途中で、とある建物に寄ったほか、1回トイレに行った。その後、山の広いところに行った。」「山の広いところで、お母さんと男が急にけんかを始め、お母さんは、『やめてよ。貸さない。』と言っていた[2]。その後、お母さんは逃げるように車を降り、男も助手席側に移動してから車を降りて、車の前でお母さんを何かで殴った。さらに、私も、男によって車から降ろされ、殴られた。」「お母さんや私を殴った男は、トイレに行ったときに一緒にいた男であり、トイレを出てから山の広いところに行くまでの間に、別の人の車に乗り換えたことはなかった。」「本件当日に車を降りたのは,トイレと山の広いところの2回である。」などと証言した。

2010年3月1日論告求刑公判で、札幌地方検察庁は、間接証拠などからWの有罪を主張し、「残虐な犯行で結果も重大」などと述べ、Wに無期懲役を求刑した。一方、殺害された被害者が1人であることなどから、死刑求刑は避けた。

2010年3月29日札幌地裁辻川靖夫裁判長)はWが犯人であると認定し、Wに対し求刑通り無期懲役判決を言い渡した(ただし、金目的という悪質な動機、結果の重大性、残忍かつ悪質な犯行態様、Aの遺族らの処罰感情などから、死刑の選択も考えられるとされた)[3]

判決では、Aらの携帯電話の位置情報やBの証言から「被告と被害者は車に同乗し続けた可能性が圧倒的に高く、被告が犯人であると強く推認できる」と判断し、被告側の無罪主張を全面的に退けた[3]。 その上で「かけがえのない生命を奪った結果は重く、長女も右半身がまひするなど、将来にわたり重い負担を負う。生涯反省の日々を過ごさせるのが相当だ」と述べた[3]

Wは即日控訴11月11日札幌高裁小川育夫裁判長)は、一審の判断を追認し、Wの控訴を棄却[4]。Wは最高裁上告したが2012年3月26日、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)はWの上告を棄却する決定を出した。これにより、Wの無期懲役の判決が確定した[5]

脚注

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関連項目

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