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藤田賢治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤田 賢治
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 富山県富山市
生年月日 (1952-01-04) 1952年1月4日(72歳)
身長
体重
174 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1969年 ドラフト6位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

藤田 賢治(ふじた けんじ、1952年1月4日 - )は富山県出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。 富山北部高校出身

来歴・人物

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富山北部高校では、2年生から八川康二とともに投手陣の二本柱となり活躍。1968年夏の甲子園県予選決勝に進むが、高岡商前田四郎土肥健二のバッテリーに抑えられ敗退。翌1969年には春夏の甲子園に連続出場、いずれもチーム初出場であった。春の選抜は1回戦で尼崎西高に惜敗[1]夏の選手権では東邦高飯塚商を降す。準々決勝では八川のリリーフに回り、若狭高の東次男と投げ合うが敗退[2]

1969年のドラフト会議大洋ホエールズに6位指名され入団する。プロ3年目の1972年読売ジャイアンツに移籍するも、翌1973年に肩を故障。5年間で1度も登板のないまま同年限りで引退した。

低めに伸びのある速球を決めカーブ、シュートを左右に散らすピッチングが身上であった。

現在は[いつ?]花王の販売会社に勤めている。

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 62 (1970年 - 1971年)
  • 69 (1972年 - 1974年)

脚注

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  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目

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