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藤田弘志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤田弘志(ふじた ひろし、1936年7月1日 - )は日本大蔵官僚血液型はA型[1]

来歴

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京都府福知山市出身(父母も京都府出身)[1]京都府立福知山高等学校東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[2]1960年 大蔵省入省(主計局総務課)。1966年7月 大阪国税局富田林税務署長。その後は経済企画庁総合計画局、証券局で勤務し、主計局の主計官補佐主査)としては1〜2年目には司法、警察予算、3年目には防衛予算の係に着いた。関税局総務課長の後、1985年7月1日富山県副知事となり、1987年7月1日 理財局次長(国有担当)。1988年6月15日 理財局次長(国有担当)を兼ねたうえで関東財務局長に就任。1989年6月23日 退官。同年7月 信託協会専務理事(〜1995年6月)。1995年 生物系特定産業技術推進機構副理事長(〜1997年8月)。1997年10月に名古屋証券取引所理事長(〜2003年)。2003年より名古屋証券取引所顧問。

略歴

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  • 1960年4月:大蔵省入省(主計局総務課)
  • 1962年6月:近畿財務局理財部経済調査課
  • 1963年6月:名古屋国税局調査査察部
  • 1964年4月:大臣官房調査課(経済理論研修)
  • 1965年4月:理財局外債課
  • 1965年9月:理財局国庫課外債第一係長[3]
  • 1966年4月:理財局国債課
  • 1966年7月:大阪国税局富田林税務署長
  • 1967年7月:経済企画庁総合計画局副計画官
  • 1969年9月:証券局投資信託課長補佐
  • 1971年7月:主計局主計官補佐(司法、警察係主査)
  • 1973年7月:主計局主計官補佐(防衛第一係主査)
  • 1974年7月:広島国税局直税部長
  • 1976年7月:大臣官房企画官 兼 国税庁長官官房総務課
  • 1977年6月:総理府人事局参事官
  • 1979年7月:日本専売公社管理調整本部総務部主計課長
  • 1981年7月:銀行局調査課長
  • 1983年6月:関税局企画課長
  • 1984年6月:関税局総務課長
  • 1985年7月1日:富山県副知事
  • 1987年7月1日:理財局次長(国有担当)
  • 1988年6月15日:関東財務局長 兼 理財局次長(国有担当)
  • 1989年6月23日:退官

脚注

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  1. ^ a b 『日本の官庁,その人と組織:大藏省,経済企画庁』政策時報社、1989年発行、237頁
  2. ^ 『大蔵省名鑑 1989年版』時評社、1989年1月発行、123頁
  3. ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1966年発行、377頁
官職
先代
渡邉敬之
関東財務局長
1988年 - 1989年
次代
谷川英夫
先代
足立和基
大蔵省理財局次長(国有担当)
1987年 - 1989年
次代
吉川共治
先代
長島和彦
富山県副知事
1985年 - 1987年
次代
田中寿