藤田包助
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藤田 包助(ふじた かねすけ[1]、1869年6月6日(明治2年4月26日[2]) - 1945年(昭和20年)1月22日[1][3])は、日本の政治家、実業家。
来歴・人物
[編集]1869年(明治2年)、山口県阿武郡徳佐村(のち阿東町、現在の山口市)にて出生。
明治法律学校を卒業して、警視庁属兼警部となり[1]、その後、実業界に入り、八溝金山、釧路炭砿、朝日銀行、北日本興業等の取締役、江戸見崎養魚監査役などを務める。ほか逓信大臣秘書官を務めた[1]。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙において山口県五区から衆議院議員に当選[4][3]。立憲政友会に所属した。
衆議院議員を1期務め、1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙は不出馬。1943年(昭和18年)に萩市長に就任[3]。戦況は日増しに悪化をたどり、1945年(昭和20年)在任中に死去した[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『大衆人事録』帝国人事通信社、1927年。
- 『衆議院要覧』衆議院事務局、1924年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、1983年。