藤堂元晋
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 文化14年(1817年) |
死没 | 明治8年(1875年)10月22日) |
改名 | 度五郎(幼名)→元常(初名)→元晋 |
別名 | 采女(通称)、猶水(号) |
墓所 | 伊賀市の西蓮寺 |
主君 | 藤堂高兌→高猷→高潔 |
藩 | 伊勢国津藩 |
氏族 | 藤堂氏 |
父母 | 父:藤堂高允、養父:藤堂元孝 |
兄弟 | 元晋 |
妻 | 正室:経(藤堂元孝の娘、後に三千と改名) |
子 | 元施、高節 |
藤堂 元晋(とうどう もとつぐ)は、伊勢国津藩藤堂采女家第8代。伊賀国上野城代。
家系
[編集]藤堂采女家は、藤堂高虎に仕え藤堂姓を与えられた藤堂元則に始まり、代々の当主が「采女」の通称を名乗る。初代元則以降伊賀上野城代を世襲した。
略歴
[編集]文化14年(1817年)、津藩藩主藤堂高兌の四男高允の次男として生まれる。幼名は「度五郎」。
文政4年(1821年)8月、采女家7代の元孝が嫡子の無いまま早世したため、同年9月、采女家の願いにより、伯父の藩主高猷に命じられ采女家を相続することとなった。幼い度五郎は城代の任務を果たせないため、代々世襲していた采女家の城代職は剥奪され、津本藩の家老が交替で伊賀の政務を執ることとなった。
天保11年(1840年)3月、24歳で藩主高猷の命により伊賀上野城代となる。元治元年(1864年)隠居して家督と城代職を嫡子元施に譲り、隠居号を「猶水」と名乗った。
明治8年(1875年)10月22日死去。享年58。
参考文献
[編集]- 上野市古文献刊行会編「庁事類編 藤堂藩伊賀城代家老日誌」
- 久保文武著「伊賀史叢考」