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藤原頼親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原 頼親
時代 平安時代中期
生誕 天禄3年(972年
死没 寛弘7年11月9日1010年12月17日
官位 正四位下左近衛中将
主君 一条天皇
氏族 藤原北家中関白家
父母 父:藤原道隆
兄弟 道頼頼親伊周定子隆家原子隆円、頼子、御匣殿 周家周頼藤原妍子女房、好親平重義
源満仲の娘
頼心、頼昭
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藤原 頼親(ふじわら の よりちか)は、平安時代中期の貴族藤原北家摂政関白内大臣藤原道隆の次男。官位正四位下左近衛中将

経歴

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摂関を務めた藤原道隆の次男として生まれるが庶子として扱われ、2歳年下の弟・伊周内大臣に任ぜられた正暦5年(994年)の時点で、頼親は左近衛少将に止まっていた。長徳元年(995年)左近衛中将に昇格するが、同年の父・道隆薨去や翌長徳2年(996年)の長徳の変を通じて中関白家が没落したこともあり、15年に亘って近衛中将を務めるも、公卿昇進は叶わなかった。

寛弘7年(1010年)11月9日卒去享年39。最終官位正四位下行左近衛中将兼内蔵頭

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原道隆
  • 母:不詳
  • 妻:源満仲の娘
    • 男子:頼心
  • 生母不詳の子女
    • 男子:頼昭

脚注

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  1. ^ a b 『小右記』
  2. ^ a b c 『近衛府補任』
  3. ^ 『西宮記』9-104
  4. ^ 『御堂関白記』
  5. ^ 『後産部類記』64
  6. ^ 『権記』

出典

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