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藤原連貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 連貞(ふじわら の つらさだ、生年不詳 - 天延2年(974年))は、平安時代中期の貴族。名は連真連直とも記される[1]藤原南家上総介藤原滋茂の子。官位従五位上尾張守

経歴

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村上朝初頭に三河権掾を務める。

のち、円融朝にて尾張守に任ぜられるが、天延2年(974年)正月頃より尾張国の百姓らに国司としての非法を訴えられ、5月になって連貞は解任され散位藤原永頼と交替させられた[2]。これは、国司苛政上訴の初見となっている[3][4]。同年中に連貞は卒去したという。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原滋茂
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原為章
    • 男子:藤原為元
    • 男子:慶円(944-1019)
    • 女子:藤原典雅室

脚注

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  1. ^ 『尊卑分脈』
  2. ^ 『日本紀略』天延2年5月23日条
  3. ^ 続群書類従完成会 2000, p. 63.
  4. ^ 古代オープンデータ”. 2023年12月18日閲覧。
  5. ^ 『大嘗会御禊部類記』
  6. ^ a b 『尊卑分脈』
  7. ^ 『日本紀略』

参考文献

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