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藤原資藤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原資藤
時代 鎌倉時代後期
生誕 不明
死没 不明、元応2年11月8日1320年12月8日)出家
別名 二条
官位 正二位権中納言
主君 亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇花園天皇後醍醐天皇
氏族 藤原北家道綱流楊梅庶流
父母 父:藤原資氏、母:平成俊
養父:藤原資季
兄弟 資高資藤、資世、乗尋、静寛、顕證、女子
不明
資教
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藤原 資藤(ふじわら の すけふじ)は、鎌倉時代後期の公卿。二条資藤とも。正二位権中納言。父は左中将藤原資氏、母は権中納言平成俊女。

兄弟で祖父の養子

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資高と共に祖父権大納言藤原資季の養子となった可能性が高い[1]。資季には資氏しか子女がいなかったため、早くに出家した資氏に代わり家門存続のために2人の養子を確保しようとしたと考えられる。なお、資季自身が資家の唯一の子である。


経歴

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以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『公卿補任』では資季の二男(実は孫)という注記あり。
  2. ^ 春宮坊当年御給
  3. ^ 前年12月7日に位記を賜る
  4. ^ 弘安4年に八幡御神楽にて資行が宮人を務めた賞の譲り
  5. ^ 同年6月には兄資高が死去している。
  6. ^ 『公卿補任』では、父は入道中将資氏云々、但し資季卿の喪に服しているのは不審、という注記あり。養子なのか猶子なのか明確でなかった可能性がある。

出典

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  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
  • 荒涼記』(資季卿記)(早稲田大学図書館 古典籍総合データベース)