藤原秀雄
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藤原 秀雄(ふじわら の ひでお、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。藤原南家、筑後守・藤原清岳の孫。従五位下・藤原八釣の子。官位は従五位下・典薬頭。
経歴
[編集]仁明朝の承和13年(846年)従五位下に叙爵し、承和15年(848年)大監物に任官する。のち、仁寿3年(853年)河内守に任ぜられると、貞観3年(861年)にも再任されるなど、文徳朝から清和朝初期にかけて河内守を務めた。
貞観5年(863年)典薬頭に遷り、貞観10年(868年)従五位上に至る。また、時期は不明ながら紀伊守を務めた。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 承和13年(846年) 正月7日:従五位下
- 承和15年(848年) 7月5日:大監物
- 仁寿3年(853年) 正月16日:河内守
- 貞観3年(861年) 正月13日:河内守
- 貞観5年(863年) 4月21日:典薬頭
- 貞観10年(868年) 正月7日:従五位上
- 時期不詳:紀伊守[1]
脚注
[編集]- ^ 『尊卑分脈』