藤原有頼
表示
時代 | 平安時代前期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位下、但馬守 |
主君 | 宇多天皇 |
氏族 | 藤原北家魚名流(山蔭流) |
父母 | 父:藤原山蔭、母:筑前介有光の娘 |
兄弟 |
有頼、公利、如無、遂長、言行、兼三、中正、元善子、藤原定方室、 雅望王正妃、藤原家宗室 |
妻 | 高向公輔の娘 |
子 |
正方、直長、種時 養子:在衡 |
藤原 有頼(ふじわら の ありより)は、平安時代前期の貴族・漢詩人。藤原北家魚名流(山蔭流)、中納言・藤原山蔭の長男。官位は従五位下・但馬守。
経歴
[編集]寛平元年(889年)9月に行われた残菊の宴において漢詩を奉じた。右馬助を経て、叙爵の後、寛平5年(893年)4月に敦仁親王(後の醍醐天皇)が皇太子に立てられると、その春宮坊の主馬署官人となり[1]、蔵人に補任された[1]。その後、但馬介[2]または但馬守[3]を務めた。
系譜
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年