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藤原有頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原有頼
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位下但馬守
主君 宇多天皇
氏族 藤原北家魚名流(山蔭流)
父母 父:藤原山蔭、母:筑前介有光の娘
兄弟 有頼、公利、如無、遂長、言行、兼三中正、元善子、藤原定方室、
雅望王正妃、藤原家宗
高向公輔の娘
正方、直長、種時
養子:在衡
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藤原 有頼(ふじわら の ありより)は、平安時代前期の貴族漢詩人藤原北家魚名流(山蔭流)、中納言藤原山蔭の長男。官位従五位下但馬守

経歴

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寛平元年(889年)9月に行われた残菊の宴において漢詩を奉じた。右馬助を経て、叙爵の後、寛平5年(893年)4月に敦仁親王(後の醍醐天皇)が皇太子に立てられると、その春宮坊主馬署官人となり[1]蔵人に補任された[1]。その後、但馬介[2]または但馬守[3]を務めた。

系譜

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  • 父:藤原山蔭
  • 母:筑前介有光の娘(姓不明)
  • 妻:高向公輔の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:藤原正方
    • 男子:藤原直長
    • 男子:藤原種時
  • 養子女

脚注

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  1. ^ a b 大日本史料』第一篇補遺。
  2. ^ 公卿補任』『蔵人補任』など。
  3. ^ 尊卑分脈』など。

出典

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