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藤原成房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原成房
時代 平安時代中期
生誕 天元5年(982年
死没 不詳
改名 成周(初名)→成房→素覚(法名)
官位 従四位上右近衛権中将
主君 一条天皇
氏族 藤原北家九条流
父母 父:藤原義懐、母:藤原為雅の娘
兄弟 尋円、延円成房伊成、尋増、信懐、教忠、女子
源則忠の娘
大江定経
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藤原 成房(ふじわら の なりふさ/なりのぶ)は、平安時代中期の貴族藤原北家権中納言藤原義懐の三男。官位従四位上右近衛権中将

経歴

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数え年5歳の寛和2年(986年)に寛和の変が発生。成房の従兄弟に当たる花山天皇の後を追って、父の権中納言藤原義懐が出家している。

長徳2年(996年)正月に従五位上・筑前権守に叙任されるが、同年に発生した長徳の変で左遷された藤原伊周の名を避けるためか[1]、6月に成周(なりちか)から成房(なりふさ/なりのぶ[注釈 1])に改名している。のち、右兵衛佐近衛少将と武官を歴任。

長保2年(1000年)7月下旬から9月初旬にかけて中宮藤原彰子中宮権亮源則忠の堀川邸に滞在し[3]、則忠に家主の功労として叙位がなされることとなったが、則忠自身からこの邸宅は既に成房の所領となっており成房を加叙すべきとの申し出があり、成房が昇叙される[4]。このことから既に成房は源則忠の娘と結婚していたと想定される[5]

この頃、成房は病により白川にある寺に住んでおり、昇叙の連絡の使者もこの寺に遣わされた。さらに同年12月の皇后藤原定子の崩御をきっかけに出家を志して[6]、既に出家していた父・義懐が住んでいた比叡山の飯室を訪れるが、父の説得(既に子息の2人を仏門に入れているため1人は朝廷に仕えることで仏法の御利益が衆生に広まるよう務めること、義懐自身の存命中は出家を思いとどまること)や、藤原行成源成信からの激励により思いとどまり、翌月の長保3年(1001年)正月に藤原行成に連れられて帰京する[7]

同年3月には左大臣藤原道長から近衛中将の任官打診を受けた藤原行成が同職を譲る形で、成房が右近衛権中将に任ぜられる[8]

しかし、翌長保4年(1002年)2月2日に飯室にて出家。今回は前年末の東三条院の崩御に伴う忌中と当時発生していた花山院の懊悩危急が出家の原因とみられるが、前回成房を激励説得したはずの源成信は成房が帰京した翌月である長保3年2月3日夜に電撃的に出家してしまっていたため、行成の説得も奏効しなかった[9]。この時の年齢は21歳。最終官位は右近衛権中将従四位上。法名は素覚[10]

没年は不詳であるが、寛弘5年(1008年)の花山院崩御の際に、父や兄弟と共に入棺の奉仕を行ったことや、寛弘8年(1011年)に行成が成房と共に鴨院を参詣し夜通し語り合った旨の記事が『権記』に見られる。

人物

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長徳4年(998年[11]および長徳5年(999年[12]石清水臨時祭試楽の舞人に選抜され、また長保3年(1001年)の東三条院の四十の御賀の試楽でも舞人を務めるなど[13]舞楽の心得があったと想定される[2]

従兄弟に当たる藤原行成や源成信と交流があり、行成の日記『権記』等にともに行動した記事が多数見られる。

官歴

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注記のないものは『権記』による。

系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『尊卑分脈』にある「改-信」は房のよみを信(=のぶ)と記したものか[2]
  2. ^ 長徳2年時点で既に任官されたか。
  3. ^ この年10月23日に藤原公信が右兵衛佐に任じられている[19][2]

出典

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  1. ^ 槙野[1992: 15]
  2. ^ a b c d 槙野[1992: 16]
  3. ^ 『日本紀略』『権記』
  4. ^ 『権記』長保2年9月8日条
  5. ^ 槙野[1992: 18]
  6. ^ 槙野[1992: 19]
  7. ^ 『権記』長保3年正月7日条
  8. ^ 『権記』長保3年3月18日条
  9. ^ 槙野[1992: 23]
  10. ^ 『権記』長保4年2月3日条
  11. ^ 『権記』長徳4年3月20日条
  12. ^ 『石清水文書』
  13. ^ 『権記』長保3年10月7日条
  14. ^ 『小右記』
  15. ^ 『長徳二年大間書』
  16. ^ 『類従符宣抄』第7,改名
  17. ^ 『小右記』[注釈 2][2]
  18. ^ 『公卿補任』長保四年尻付
  19. ^ 『公卿補任』長和二年尻付
  20. ^ 『近衛府補任』
  21. ^ 『拾遺和歌集』巻18

参考文献

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  • 槙野廣造「藤原成房考 : 『権記』にみる出家への軌跡」 『相愛国文』5巻、相愛女子短期大学国文学研究室、1992年
  • 関口力「藤原成房・源成信の出家をめぐって」『古代文化』第35巻第6号、古代学協会、1983年
  • 市川久編『近衛府補任』続群書類従完成会、1992年