藤原忠主
表示
時代 | 平安時代前期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従四位上・丹後守 |
主君 | 陽成天皇→光孝天皇→宇多天皇 |
氏族 | 藤原南家 |
父母 | 父:藤原伊勢雄、母:従四位下光厚娘 |
子 | 高松、高風? |
藤原 忠主(ふじわら の ただぬし)は、平安時代前期の貴族。藤原南家、参議・藤原巨勢麻呂の曾孫。備前介・藤原伊勢雄の子。官位は従四位上・丹後守。
経歴
[編集]太皇太后宮少進兼斎院次官を経て、貞観年間半ばに皇太后宮大進兼斎院長官に昇格し、貞観10年(868年)従五位上に昇叙される。
陽成朝の元慶2年(878年)常陸介として地方官に転じ、任期中の元慶6年(882年)に正五位下に叙せられる。
散位を経て、光孝朝の仁和2年(886年)民部大輔に任ぜられて京官に復し、翌仁和3年(887年)従四位下に昇進する。
官歴
[編集]注記のないものは『日本三代実録』による。
- 時期不詳:従五位下。蔵人[1]。太皇太后宮少進兼齋院次官
- 貞観8年(866年) 正月23日:齋院長官
- 貞観9年(867年) 2月11日:皇太后宮大進(齋院長官兼務)
- 貞観10年(868年) 12月9日:従五位上
- 元慶2年(878年) 正月11日:常陸介
- 元慶6年(882年) 正月7日:正五位下
- 仁和2年(886年) 正月16日:民部大輔
- 仁和3年(887年) 正月7日:従四位下
- 時期不詳:従四位上。丹後守[1]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。