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藤原忠主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原忠主
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従四位上丹後守
主君 陽成天皇光孝天皇宇多天皇
氏族 藤原南家
父母 父:藤原伊勢雄、母:従四位下光厚娘
高松、高風?
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藤原 忠主(ふじわら の ただぬし)は、平安時代前期の貴族藤原南家参議藤原巨勢麻呂の曾孫。備前介・藤原伊勢雄の子。官位従四位上丹後守

経歴

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太皇太后宮少進斎院次官を経て、貞観年間半ばに皇太后宮大進兼斎院長官に昇格し、貞観10年(868年従五位上に昇叙される。

陽成朝の元慶2年(878年常陸介として地方官に転じ、任期中の元慶6年(882年)に正五位下に叙せられる。

散位を経て、光孝朝の仁和2年(886年民部大輔に任ぜられて京官に復し、翌仁和3年(887年従四位下に昇進する。

宇多朝以降、従四位上・丹後守に至る。

官歴

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注記のないものは『日本三代実録』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原伊勢雄
  • 母:従四位下光厚(姓不明)の娘
  • 妻:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:藤原高松
    • 男子:藤原高風 - あるいは藤原高松の子

脚注

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  1. ^ a b 『尊卑分脈』

参考文献

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