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小幡佳代子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤原佳代子から転送)

小幡 佳代子(おばた かよこ、本名・藤原 佳代子1971年〈昭和46年〉9月18日 - )は、元日本女子陸上競技長距離走およびマラソン選手。現在1児の母。

人物

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神奈川県平塚市出身。平塚市立土屋小学校→平塚市立土沢中学校→神奈川県立秦野高等学校筑波大学

帝都高速度交通営団(営団地下鉄)所属であったが、2000年の営団地下鉄の陸上部廃部[1]により、2001年からはアコムに所属していた。

世界陸上セビリア大会女子マラソン日本代表・8位入賞。ドーハアジア競技大会女子マラソン日本代表・銅メダリスト

略歴

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幼少期から短距離・長距離競技共に速かった。非常に負けず嫌いなところがあり小学校低学年時、同級生の男子児童に短距離走での勝負を挑んだものの敗北、直後に号泣したというエピソードもある。

女子マラソンでは1999年1月31日大阪国際女子マラソンで日本人トップの4位に入り、又当時の自己ベストタイムでゴール。この成績で同年8月29日開催の世界陸上セビリア大会女子マラソンに初めて代表に選ばれ、その世界陸上本番レースでは8位入賞と健闘する。2000年1月30日の大阪国際女子マラソンは、現在の自己最高記録である2時間25分14秒(当時日本女子歴代4位)を出して5位に食い込んだが、シドニーオリンピック女子マラソンは補欠代表に留まった。

その後はマラソンでなかなか結果を残せなかったが、34歳だった2006年1月29日の大阪国際女子マラソンで久々に好走して復活。レース中盤で先頭に立ち一時は独走状態となり、33Km過ぎで優勝したキャサリン・ヌデレバ ケニア)に抜かれたものの、自己記録に迫る2時間25分台のゴールタイムで2位に入った。

その後、同年12月9日に開催されたドーハアジア競技大会の女子マラソン代表に選出。35歳となったアジア大会の女子マラソン本番では、金メダル獲得の周春秀中華人民共和国の旗 中国)に3分以上離されたが、嶋原清子資生堂)とゴール直前まで銀メダル争いを演じ、嶋原とは4秒差で敗れたものの、3位に入り銅メダルを獲得した。

2008年2月、元所属先の営団地下鉄に同期入社だった、4歳年下で元陸上選手の藤原呂圭(ともよし)と約12年間の交際を経て、婚姻届を提出。結婚後も現役を続けていたが、所属先のアコムが2010年3月限りで陸上部廃部が決定し、更に持病となった右足のしびれも回復せず、同年1月に現役引退を表明。

2010年1月31日、大阪国際女子マラソンに同大会10回目の出場。38歳の高齢ながらも雨天の中、最後まで足の痺れが出ずに快走して2時間27分台の好タイムをマーク、5位入賞(日本人では3位の小崎まりに次いで2番目の成績)で競技生活を締め括ることになった。ゴールイン後、小幡のラストランを知っていた同大会4位のリディア・シモンルーマニアの旗 ルーマニア)が、小幡を抱擁し笑顔で引退を労う場面があった。なお現役引退後も、主婦業の傍らで一般市民ランナー・スポーツ解説者などで活動中。

自己記録

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主な記録(マラソンのみ)

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脚注

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  1. ^ 2000年3月8日に発生した営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故により、営団地下鉄の陸上部は廃部された。20年後の2020年4月に「東京メトロ女子駅伝部 マーキュリー」の名称で再発足している(その間に営団地下鉄は民営化され、営団の受け皿となった東京地下鉄〈東京メトロ〉に引き継がれた)。

外部リンク

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