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藤井貫一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤井 貫一
生誕 1887年1月3日
日本の旗 日本 新潟県
死没 (1975-03-11) 1975年3月11日(88歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1907年 - 1938年
最終階級 陸軍少将
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藤井 貫一(ふじい かんいち、1887年明治20年)1月3日[1] - 1975年昭和50年)3月11日[1])は、大日本帝国陸軍軍人、伊丹市長。最終階級は陸軍少将。

経歴

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1887年(明治20年)に新潟県で生まれた[1]陸軍士官学校第19期[1]陸軍大学校第32期卒業卒業[2]1931年(昭和6年)3月に台湾軍司令部附となり[3]台北帝国大学に配属され[3]1932年(昭和7年)8月に陸軍歩兵大佐に進級[3]1933年(昭和8年)8月に歩兵第36連隊長に転じ[3]1936年(昭和11年)3月7日神戸連隊区司令官に着任[3]

同年12月1日に陸軍少将進級と同時に対馬要塞司令官に就任[1][3]1938年(昭和13年)7月15日に待命[1]7月27日予備役に編入された[1]1944年(昭和19年)8月7日伊丹市長に就任し[4]1945年(昭和20年)10月30日まで務めた[4][5]。その後、公職追放となった[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 福川 2001, 630頁.
  2. ^ 福川 2001, 631頁.
  3. ^ a b c d e f 外山 1981, 246頁.
  4. ^ a b 日外アソシエーツ 2022, 300頁.
  5. ^ 伊丹市 1955, 29頁.
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿51頁。公職追放の該当事項は「翼賛支部長」。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 日外アソシエーツ株式会社 編『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304 
  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276156 
  • 伊丹市 編『15年のあゆみ : 市制十五周年記念誌』伊丹市秘書課、1955年。