藤井英治
ふじい えいじ 藤井 英治 | |
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生誕 |
1946年4月28日(78歳) 大阪府河内市 |
住居 | 長野県岡谷市 |
国籍 | 日本 |
職業 | 暴力団員 |
活動期間 | 1965年 - |
団体 | 山口組 |
肩書き |
六代目山口組若頭補佐 同・関東ブロック長 五代目國粹会会長 |
藤井 英治(ふじい えいじ、1946年4月28日[1] - )は、日本のヤクザ。東京都に本部を置く暴力団・國粹会五代目会長であり、上部団体に当たる特定抗争指定暴力団・六代目山口組若頭補佐[1]。本名は丸橋 芳夫(まるはし よしお)。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]1946年(昭和21年)、大阪の河内(現在の東大阪市)に生まれる[2]。高校時代は甲子園常連校で野球部に所属するも、喧嘩沙汰を起こして中退[1]。家出後、愚連隊として三重、名古屋、東京などの各地を転々としたのち、1965年(昭和40年)に長野の岡谷に流れ着く[2]。そこで信州斉藤一家三代目総長・伊藤芳和の知遇を得たことでヤクザとなる[1]。
斉藤一家時代
[編集]1984年(昭和59年)には五代目信州斉藤一家で諏訪及びに岡谷の『貸元』を任され、同時に『総長代行』の役に就任。上部団体の日本国粋会では『副理事長』や『副会長』を歴任する。そして1990年(平成2年)に44歳で信州斉藤一家の六代目を継承した[3]。
更に翌91年には、日本国粋会『組織委員長』に就任。同年に工藤和義を首領に据えた四代目國粹会が発足すると、『幹事長』、『理事長』を歴任し、工藤の右腕として活動した[1]。
國粹会跡目継承・山口組直参昇格
[編集]國粹会が山口組へと加入[1]した約1年半後の2007年(平成19年)2月15日に工藤が急死した事で藤井は同年3月5日に國粹会の五代目を継承し、六代目山口組の直参に昇格した。なお、継承式は同年4月19日に信州斉藤一家本部事務所にて執り行われた[3]。
2009年(平成21年)2月に山口組『幹部』[注 1]となった。幹部時代は司忍ら組最高幹部の警護等を担当し、更に2011年(平成23年)には『若頭補佐』に昇格した[1]。当時、関東地方の山口組傘下組織の中でも執行部メンバーが率いる団体が藤井の國粹会のみであった事から、関東ブロック長も兼任するようになり以降2021年(令和3年)現在まで若頭補佐の筆頭として活動している。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「幹部」という名称の役職である。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g 『実話時報 2011年12月号』 “六代目山口組「新人事」検証 果敢なる人事刷新 藤井英治・五代目國粹会(東京)会長” (p.50-51) 2011年11月14日 竹書房
- ^ a b 『六代目山口組完全データBOOK』 “國粹会・藤井英治会長跡目継承儀式” (p.82-85) 2008年1月1日 メディアックス ISBN 978-4-86201-328-6
- ^ a b 『六代目山口組完全データBOOK 2008年版』 “衝撃の拳銃自殺から1年 工藤和義最高顧問一周忌” (p.42-44) 2009年2月1日 メディアックス ISBN 978-4-86201-358-3
関連項目
[編集]- 井上邦雄 - 学生時代に野球に打ち込むが中退したヤクザ。
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