藤井一瓠
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藤井 一瓠(ふじい いっこ、1843年 - 1923年)は、日本の教育家・漢学者。
概略
[編集]1843年(天保14年)(熊本藩(現・熊本県熊本市中央区手取本町)生まれ。1875年(明治8年)、熊本県下益城郡海東村(現・宇城市)に弦巻小学校(現・宇城市立海東小学校)を設立し、教鞭をとる。教員退職後、海東阿蘇神社に神職として奉職した[1]。
1922年(大正11年)9月、門弟たちによりその徳を称える石碑が建立された[2]。
石碑
[編集]所在
[編集]碑文
[編集]「先生は元田藩士にして、熊本手取本町高田原に生る。明治八年六月此地に転籍し弦巻校創立せらるるや、直ちに教頭となり、同校経営に尽瘁せらる。教鞭を執ること殆ど二十数年、同二十六年、本村名誉協議員に当選、其後高齢で退職同年神官職を命ぜらる。同三十四年再び同村東部校教員拝命、同三十七年三月、老衰の故を以て職を辞せらる。神職の奉仕二十ヶ年に及び、其の間子弟教育、敬神教育、本村の開発に貢献尽瘁せらる。大正十一年建設」[3]
出典
[編集]- ^ 下益城郡教育支会編纂『下益城郡誌』臨川書店、1922年、69頁
- ^ 小川町史編纂委員会編纂『小川町史』小川町役場(熊本県)、1979年
- ^ 海東村史編纂委員会編纂『海東村史』海東村役場、1952年
参考文献
[編集]- 海東小学校創立百周年記念事業期成会『海東小学校創立百周年記念誌』海東小学校、1976年
- 小川町史編纂委員会編纂『小川町史』小川町役場(熊本県)、1979年