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藁科玄隆

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藁科 玄隆(わらしな げんりゅう、宝暦13年(1763年) - ?)は、江戸時代後期の医師

経歴・人物

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佐藤中陵本草学を学び、出羽米沢藩上杉氏の侍医となる[1]文政8年(1825年)より藩の「本草会」の頭取となる[2]。文政13年(1830年)には本草学についての全50巻の著書『本草考彙』を著した[3]。『本草考彙』は中国本草学者李時珍の『本草綱目』の分類に従い、佐藤成裕曽槃小野職博などの説を中心に纏めた書である[2]

脚注

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  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『藁科玄隆』 - コトバンク
  2. ^ a b 岩本篤志「米沢藩『本草考彙』研究序説―佐藤中陵と曽槃および好生堂に関する新資料」、『新潟史学』59号、p.34-55(2008)
  3. ^ 日本の医薬・博物著述年表 (五)、2019年2月13日閲覧。