蓬萊尚広
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蓬萊 尚広 | |
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肩書き | 内宮権祢宜兼副大物忌父 |
別名 | 名跡:蓬萊大夫、本姓:荒木田、通称:監物、雅楽[1]、号:遅月軒[1]、別名:尚通、尚雄[2] |
個人情報 | |
生誕 |
文化13年(1816年) |
死没 |
文久元年8月29日(1861年10月3日) 同上 |
墓所 | 浄土寺 |
宗教 | 神道 |
配偶者 | 志都子(薗田守良娘) |
子供 | 蓬萊尚武、椿時中、勝子 |
両親 | 蓬萊尚古、和喜子(八羽光顕娘) |
宗派 | 復古神道 |
主な著作 | 『御裳濯河大橋部類』 |
師 | 足代弘訓 |
別名 | 名跡:蓬萊大夫、本姓:荒木田、通称:監物、雅楽[1]、号:遅月軒[1]、別名:尚通、尚雄[2] |
寺院 | 伊勢神宮内宮 |
聖職 | 御師 |
地位 | |
師 | 足代弘訓 |
蓬萊 尚広(ほうらい ひさひろ、文化13年〈1816年〉 - 文久元年〈1861年〉8月29日)は江戸時代の伊勢神宮祠官、国学者。
概要
[編集]文化12年(1815年)伊勢国度会郡宇治今在家町に生まれた[1]。内宮権祢宜兼副大物忌を務める傍ら、足代弘訓に国学を学んだ[3]。墓所は大阪市寺町浄土寺[1]。
著書
[編集]- 『荒木田尚雄詠草』 - 神宮文庫所蔵[4]。
- 『近例引留』(『蓬萊家仕来近例留』) - 神宮文庫所蔵[4]。
- 『鶏犬居詠草』 - 神宮文庫所蔵[4]。
- 『神事参勤日記』 - 天保7年(1836年)成立。神宮文庫所蔵[4]。
- 『浅学備忘 神宮之部』 - 神宮文庫所蔵[4]。
- 『別宮内人職補任差止書留』 - 天保7年(1836年)成立。神宮文庫所蔵[4]。
- 『蓬萊尚雄日次記』 - 天保4年(1833年)から嘉永4年(1851年)までの日記。35冊。神宮文庫所蔵[4]。
- 『蓬萊尚広日次記』 - 嘉永4年(1851年)から万延2年(1861年)までの日記。36冊。神宮文庫所蔵[4]。
- 『戊戌書窗日録』 - 天保9年(1838年)成立[5]。神宮文庫所蔵[4]。
- 『御裳濯河大橋部類』 - 神宮文庫所蔵[4]。宇治橋の創建地論争を巡り、饗土創建説を主張した[6]。
- 『仙霞百首』 - 『真珠白玉』所収。
歌
[編集]家族
[編集]- 父:蓬萊尚古(寛政3年(1791年)8月11日 - 天保6年(1835年)3月15日) - 磯部親愛次男[2]。幼名は少典、後に右兵衛。名は尚知とも。本居春庭門下[1]。
- 母:和喜子(寛政8年(1796年)11月20日 – 安政5年(1858年)4月29日) - 八羽光顕娘[2]。
- 妻:志都子(しづ子[7]) - 薗田守良娘[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 北岡四良「蓬萊尚賢の伝」『皇學館大學紀要』第8号、皇學館大学、1970年3月。
- 鈴木暢幸『宇治山田市史』 上巻、宇治山田市役所、1929年1月。NDLJP:1266036/227
- 中村英彦『度会人物誌』秀名社度会郷友会、1934年8月。NDLJP:1907249/89
- 音羽悟『悠久の森 神宮の祭祀と歴史』弘文堂、2014年6月 。