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蓬萊尚広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蓬萊 尚広
肩書き 内宮祢宜兼副大物忌父
別名 名跡:蓬萊大夫、本姓:荒木田、通称:監物、雅楽[1]、号:遅月軒[1]、別名:尚通、尚雄[2]
個人情報
生誕 文化13年(1816年
死没 文久元年8月29日1861年10月3日
同上
墓所 浄土寺
宗教 神道
配偶者 志都子(薗田守良娘)
子供 蓬萊尚武、椿時中、勝子
両親 蓬萊尚古、和喜子(八羽光顕娘)
宗派 復古神道
主な著作御裳濯河大橋部類』
足代弘訓
別名 名跡:蓬萊大夫、本姓:荒木田、通称:監物、雅楽[1]、号:遅月軒[1]、別名:尚通、尚雄[2]
寺院 伊勢神宮内宮
聖職 御師
地位
足代弘訓
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蓬萊 尚広(ほうらい ひさひろ、文化13年〈1816年〉 - 文久元年〈1861年8月29日)は江戸時代伊勢神宮祠官、国学者

概要

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文化12年(1815年伊勢国度会郡宇治今在家町に生まれた[1]内宮祢宜兼副大物忌を務める傍ら、足代弘訓国学を学んだ[3]。墓所は大阪市寺町浄土寺[1]

著書

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  • 『荒木田尚雄詠草』 - 神宮文庫所蔵[4]
  • 『近例引留』(『蓬萊家仕来近例留』) - 神宮文庫所蔵[4]
  • 『鶏犬居詠草』 - 神宮文庫所蔵[4]
  • 『神事参勤日記』 - 天保7年(1836年)成立。神宮文庫所蔵[4]
  • 『浅学備忘 神宮之部』 - 神宮文庫所蔵[4]
  • 『別宮内人職補任差止書留』 - 天保7年(1836年)成立。神宮文庫所蔵[4]
  • 『蓬萊尚雄日次記』 - 天保4年(1833年)から嘉永4年(1851年)までの日記。35冊。神宮文庫所蔵[4]
  • 『蓬萊尚広日次記』 - 嘉永4年(1851年)から万延2年(1861年)までの日記。36冊。神宮文庫所蔵[4]
  • 『戊戌書窗日録』 - 天保9年(1838年)成立[5]。神宮文庫所蔵[4]
  • 『御裳濯河大橋部類』 - 神宮文庫所蔵[4]宇治橋の創建地論争を巡り、饗土創建説を主張した[6]
  • 『仙霞百首』 - 『真珠白玉』所収。

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  • 玉くしけ二見の浦のニたひも三度も見ませ富士と朝日を[3]
  • 今よりは何にたとへん桜花雲と雪とはことなりにけり[3]

家族

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脚注

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  1. ^ a b c d e 中村 1934, p. 149.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 北岡 1970, p. 127.
  3. ^ a b c 中村 1934, p. 245.
  4. ^ a b c d e f g h i j 蓬萊尚広 - 国文学研究資料館 2018年6月5日閲覧。
  5. ^ 北岡 1970, p. 126.
  6. ^ 音羽 2014, p. 20.
  7. ^ 中村 1934, p. 150.
  8. ^ 中村 1934, p. 102.
  9. ^ 中村 1934, p. 173.
  10. ^ a b 椿歩兵少尉結婚願の件』 - アジア歴史資料センター

参考文献

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外部リンク

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