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葛飾町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
葛飾村から転送)
かつしかまち
葛飾町
廃止日 1937年4月1日
廃止理由 新設合併
船橋町葛飾町八栄村法典村塚田村船橋市
現在の自治体 船橋市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
東葛飾郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 6.68 km2
総人口 6,569
(1930年)
隣接自治体 市川市、東葛飾郡船橋町、塚田村、八栄村、法典村、行徳町
葛飾町役場
所在地 千葉県東葛飾郡葛飾町寺内291番地
座標 北緯35度42分37秒 東経139度57分32秒 / 北緯35.71017度 東経139.95889度 / 35.71017; 139.95889座標: 北緯35度42分37秒 東経139度57分32秒 / 北緯35.71017度 東経139.95889度 / 35.71017; 139.95889
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葛飾町(かつしかまち)は、千葉県東葛飾郡にかつて存在した。現在の船橋市の西部地域にあたる。

概要

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葛飾村は、1889年(明治22年)の町村制施行によって、西海神・山野・印内・寺内(現・西船)・本郷・古作・二子・小栗原(現・本中山)の各村が合併して成立した。村名となった「葛飾」の由来ははっきりとはしていないが、本郷にある葛飾郡総社葛飾神社に因むというが確かではない。

補足:「かつしか」は古代からの地名で、奈良正倉院文書には「葛餝郡」と記されている。この郡は現在の千葉県東京都埼玉県茨城県にまたがる広い区域を示した。『万葉集』では勝鹿・勝牡鹿・可豆思賀と様々に表記されている。当時の読み方は「かつしか」であったが、その語源については多くの説がある。 (1) 葛の多く生えた「葛繁」の意とする説、(2)「かつ」は崖、「しか」は砂洲とする説、 (3)「かとしき(門敷)」の転化で、古利根川下流の入江の門戸の低湿地を整備して、集落が立地したことによるとする説、(4)「方洲処(かたすか)」で、一方が砂地の所とする説、等が有力で、他にアイヌ語説やレプチャ語説まである。

葛飾村は、1931年(昭和6年)に町となったが、1937年(昭和12年)の船橋市誕生でその幕を閉じた。「葛飾」の名称は、その後、昭和15年に旧寺内地区が船橋市葛飾町1・2丁目となり、その後大部分が住居表示施行により西船に町名が変わったものの、2丁目の一部が現在でも残されている。

本町の年表

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人口統計

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戸口 人口 調査名 出典
1889年(明治22年)
1890年(明治23年)
1891年(明治24年)
1892年(明治25年)
1893年(明治26年)
1894年(明治27年)
1895年(明治28年)
1896年(明治29年)
1897年(明治30年)
1898年(明治31年)
1899年(明治32年)
1900年(明治33年)
1901年(明治34年)
1902年(明治35年)
1903年(明治36年)
1904年(明治37年)
1905年(明治38年)
1906年(明治39年)
1907年(明治40年)
1908年(明治41年)
1909年(明治42年)
1910年(明治43年)
1911年(明治44年)
1912年(明治45年)
1913年(大正2年)
1914年(大正3年)
1915年(大正4年)
1916年(大正5年)
1917年(大正6年)
1918年(大正7年)
1919年(大正8年)
1920年(大正9年) 3950人 国勢調査
1921年(大正10年)
1922年(大正11年)
1923年(大正12年)
1924年(大正13年)
1925年(大正14年)
1926年(大正15年)
1927年(昭和2年)
1928年(昭和3年)
1929年(昭和4年)
1930年(昭和5年) 1290戸 6569人 国勢調査 葛飾町案内
1931年(昭和6年)
1932年(昭和7年)
1933年(昭和8年)
1934年(昭和9年)
1935年(昭和10年)
1936年(昭和11年) 8524人 国勢調査

土地利用

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宅地 山林 原野 雑種地 塩田 合計 調査名 出典
1930年(昭和5年) 宅地 山林 原野 雑種地 塩田 合計 調査名 出典

地域

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歴史

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本町は、律令時代には、小栗原周辺は下総国葛飾郡八幡荘に、それ以東は千葉郡千葉荘に属していた。

地理

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本町は、北側の台地と南側の低地からなる。台地は第四紀古層で、土性は、腐植質に富んだ植土(砂質土壌に近い)からなる。南部の低地は、水田に適した第四紀新層の壌質砂土である。

河川
真間川葛飾川海神川高瀬川

気候

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本町は、沿岸部に位置していることもあり、風と降雨の影響を強く受ける。冬季と夏季の大陸風、海洋風の区別は割合区別できる。冬季は北西の乾燥風のため、晴朗の天気が多い。一方、夏季は、湿気を含んだ海洋風のため、相当量の降雨があり、長雨による河川氾濫などの影響を受けることも多い。

地域の概観

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西海神
  • 山野
  • 印内
寺内
  • 二子
  • 小栗原

人物

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歴代町村長

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村長
町長

歴代助役

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歴代収入役

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歴代書記

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歴代村議会議員

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村会議員
町会議員

町内の組織

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交通

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鉄道

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道路

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補足

街道交通の主は、徒歩人力車自転車(自動自転車も含む)が主で、物資輸送の場合は、荷馬車牛車荷台車が使用された。

主な施設

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公共施設

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県の施設

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  • 千葉県土木松戸区出張所(小栗原)

国の施設

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治安施設

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  • 船橋警察署
    • 山野巡査駐在所(寺内)
    • 小栗原駐在所(小栗原)
    • 中山競馬場請願駐在所(古作)

教育施設

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宗教施設

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神社

寺院

産業

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施設

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  • 山西青果市場(西海神)
  • 丸竹青果市場(小栗原)
  • 株式会社千葉合同銀行中山支店(小栗原)
  • 下総中山合同運送株式会社(小栗原)
  • 山田ラジオ工場

産物

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農産物

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その他

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観光

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旧跡・名所

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葛飾町を舞台にした作品

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絵画

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  • 勝間田の池附近の図:船橋市

民話

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参考書籍・資料

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  • 船橋市史編さん委員会,『船橋市史 資料編五』,1984年発行
  • 河口洋一,『船橋市5千一人の群像-明治から平成 まちの歩みと人』,2005年初版
  • 船橋歴史情報ネットワーク-千葉彩夏・夏香,『子どもたちの調べた船橋-わたしたちの街葛飾-』,1995年9月30日発行
  • かつしか歴史と民話の会、『歴史体験マップかつしか』、2000年10月
  • かつしか歴史と民話の会実行委員会、『葛飾の郷』、2004年7月1日

関連項目

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